Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

建寧で国民党第六路軍と会戦 『偉大なる道』第8巻③ー5

 どの道すじをいってみても、農民たちが、わが軍や敵軍の負傷兵を、後方にはこんでいるのが見えた。あるものは、家の戸や板に縄をつけて担架をつくり、あるものは、負傷者を背負ってはこんでいた。負傷兵は敵味方分けへだてることなく扱えという指令に農民たちは一応従っていたが、独特のやり方で白軍への憎しみを晴らした。くたびれてくると、彼らは白軍の負傷兵をおろして、ののしりながら、けったり、木の枝を折ってきてたたきつけたりした。

 

 『白軍の匪賊野郎! 強姦男! 人殺し! 地主の犬!』

 

 「それからまた負傷兵をかつぎ上げて、またくたびれるまではこび、それからまた地面におろして『わしは、なんで手前みたいな犬を負わにゃならんのだ』といいながらぶった。それを止めたものもあったが、私はそういう暇がなく、たえず東に押して、休止せず戦っていた。

 

 「北の寧岡地域で、さらに北方からの数師団――蒋介石がこの江南に移動させた二十六路軍に属するものと遭遇した。蒋は、かつて馮玉祥将軍にひきいられたいたこの軍を信用していなかった。この軍の中には、いく人かの党同志がいたし、また部隊内では不満がひろがっていた。われわれと接触するやいなや、三個連隊が、一発もはなたずに投降してきて、残りは退却した。われわれは、ゆっくり考えろ、と彼らを放っておいて、東の方にただひたすら押した」

 

 この大作戦の最後の会戦は、5月29日に、敵の堡砦(ほうさい)線の東端の福建省建寧の周辺でおこなわれた。ここで紅軍は、劉和鼎指揮下の国民党第六路軍と対戦した。劉は、多年福建省の匪賊の頭目として悪名を知られていたが、そのうち国民党軍の将軍になり、彼の1万の匪賊は、六路軍に編入されていた。

 

 「彼の軍に攻撃をかけると、たちまち」朱将軍はつよい憎悪をこめていった。「劉は、司令部をすてて建寧の市内にもぐり込み、部隊もそれをまねた。われわれは、それを追って市に突入突破して、閩江の橋まできたが、その時すでに、いくつかのわが部隊は、江をわたって対岸で迎撃の構えをしていた。

  

 「たちまち橋の上は、匪賊の軍と馬と行李でいっぱいになって、動きもとれなかった。西岸の、わが機関銃隊はそれに目がけて火を吐いて射ちこんだので、敵兵は銃を投げ捨てて江に飛びこみ、わが軍の一部はそれを引っぱり上げ、一方、対岸にいた部隊は、江を泳ぎわたってきたやつを捕えて、武装解除した」