Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

指揮官からの簡潔な報告書 『偉大なる道』第8巻③ー9

 朱将軍は、彼が収集保存していた紅軍の歴史文書の中から、その当時の野戦指揮官の報告を取り出して見せた。その多くは、小説家が想像力をたくましくしてつくりあげたものよりも刺激的だった。たとえば、彭徳懐将軍の報告は、驚くほど緊密な軍事的社会的記録であり、そこには、無駄な言葉は一切なかった。ここにちょうど第二次掃共戦が始まった1931年5月17日付けの報告がある。黄色の葉書の表と裏に、顕微鏡を使わないと読めないような細かい字で書いてある。その夜の戦闘の記述に続けて、彭は書いている。

 

 「敵は米と小麦粉を多く残す。民衆は白匪をにくみ、大いにわが戦闘を助けた。傷兵はヤンメイソビエト地区にうつす。敵兵は北方人にして、われらに耳を傾けず。彼らの間には封建的の絆がはなはだ強い。傷つくまで降伏せず。わが隊は戦闘前に長すぎる行進――八十里(43キロ)をした。将兵疲労ははげしかった」

 

 彼の一個師団が山上の敵の砦を奪取したことを報告して彼は書いている。「わが方の死傷、将校、兵士、この師団の約3分の1だ。いくつかの部隊では約半数の幹部が死傷した」

 

 報告は、つねに「総司令朱、政治委員毛」の宛名で始まり、ただ「彭徳懐」で終わっている。

 

 彭徳懐や他の指揮官からの報告は、すべて、味方及び敵軍について、その双方の損傷、捕虜、捕獲品、負傷兵の輸送、さまざまな問題、困難などを簡潔にしるし、多くは「わが軍の行動について批判をこう」と結んでいた。

 

 紅軍第三軍の指揮者黄公略の報告のひとつは、戦闘で捕獲した軍帽に書きつけてあった。師団長と政治委員――その語気は若さをしめしていた――からの多くの報告は、つねに「この第二次戦の完勝を期し、万歳!」で終わっていた。

 

 朱将軍はまた、この第二次戦の間に生まれた、九節からなる農民の歌の写しを私に見せた。

第1節はこうだった。

 

  軍閥蒋介石

  南京で腰抜かし

  革命をおさえるためと、大勢狩り出す

  アイ・ヨー! アイ・ヨー!

  革命をおさえるためと、犬めを引っぱり出す

  アイ・ヨー! アイ・ヨー!

 

 「われわれは祝勝大集会をひらき、大いに歌い、それからまた勉励して、第二次掃共戦以後の対策を講じた」と朱将軍は結んだ。「われわれは勝利をおさめたが、わが軍の損傷は大きく、部隊はひどく疲れていた」