Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

長征のはじまり 『偉大なる道』第9巻①ー1

 長征の歌

   十月、索漠たる秋風裡、

   中央紅軍は長征に旅立つ。

 
   星空の下にウ都をすぎ、

   古ハ、信豊で戦って勝つ。

 
   11月、宜章、臨武、藍山、道県を占領、

   敵の第二封鎖戦を粉砕し、

   走狗何鍵の心胆を寒からしむ。

 
   12月、湘江をわたる。

 
   広西軍閥ために戦慄する。

 
   第三封鎖線は竹を割るごとく、

   無抵抗に破れ去る。

 
   12月(1月の誤りか)、梅花の香のうちに、

   貴州省に入り鳥江をわたり、

   やつぎばやに十県を占領。

 
   紅軍の名声四海に振るう。

 
   二月、桐梓と遵義において、

   軍の改革と再編成をおこなう。

 
   四川南部に遊撃隊を展開し、

   新たなる義勇兵を加える。

 
   三月、再び貴州省に転戦し、

   再び遵義を占拠した―

   軍閥王の八個連隊を打破し、

   シェとチョウの二個師を掃滅す。

 
   4月、われわれは南方に転じ、

   貴陽より昆明にかけて作戦し、

   勝利のうちに金沙江をわたり、

   四川西部を行軍す。

 
   5月、濾定橋において、

   劉文輝にひと泡ふかせ、

   悠々大渡河をわたる。

 
   十七英雄の名は、軍旗にしるされた。

 
   6月の暑さに夾金山はなお雪をいただく。

 
   第一、第四の両軍は懋功で合流す。

 
   7月、四川西北部に入る―

   ここは黒水が流れ、

   青麦が李花の風にそよいでいた。

 
   8月、飢えと寒さを物ともせず、

   人跡未踏のところ、

   おそるべき大草原を突破した。

 
   紅軍は辛酸をなめつつ、すべてに打ちかつ、

   日本を撃退し中国を救うために。

   9月、パンチュチェンを去って西北に進み、

   拉子口、渭水をわたり、

   歩兵や砲兵と戦いつつ、

   われらは、ついに陜西北部に到達した。

 
   南北の紅軍は一体となった―

   敵の新たな掃討戦を突き崩し

   救国の道に人民を糾合しつつ。

 

 どんな事実や数字をあげても、また踏破した何百という山や川の名前をあげてみても、紅軍が敢行した長征の歴史的意味を説明しつくすことはできないし、それに加わった十万の人びとの、不撓不屈の決意や辛苦をありのままの姿で伝えることはできない。

 

 長征の途についた江西と福建から、はるばる荒野や激流や万年雪をいただく山脈を越えて、中国西北に達するまでの距離はおよそ2万5千里、つまり約8千マイル(約12,872キロ)あった。朱徳はもっと歩いた。本隊をひきいた毛沢東は、まっすぐに西北へ向かったが、朱将軍の部隊は、途中チベットとの境の西康省に1年ほどとどまっていたので、西北についたのは江西を出て2年後だった。