Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

兵器廠技師長の回想 『偉大なる道』第9巻①ー3

 長征には10万人の男と35人の女が選抜された。彼らの80パーセントは意欲に満ちて規律正しい古強者で、その他は党と政府の要員や、革命運動で指導的な役割を演じた人びとであった。

 

 紅軍中央兵器廠の技師長が、私に撤退の様子を話してくれた。彼は9月の末に、大きな機械や大砲を破壊せよという命令を受けた。その後兵器廠を6つの単位に分けた――1つは長征にもってゆくもの、その他は江西と福建の5つの地区に分配するものだった。兵器廠の労働者のうち、百人が長征に加わることになり、その他のものは機械といっしょに各ソビエト地区に送られた。兵器廠の労働者と職員は、5百人の援護兵といっしょに、中隊組織に編成され、長征のあいだじゅう機械や補給品をはこび通した。

 

 「10月13日のことだが――と、この技師はつづける――ある大きな牧草地で、私は中央兵器廠長の満州出身の技師とならんで、私の隊の6百人がかたわらを通りすぎるのを見ていた。みな5斤(3キロ)の携行米を身につけており、天びん棒もかついでいた。天びん棒には弾薬か手榴弾を入れた2つの小型の箱か、われわれの一番大事な機械や道具を入れた大きな石油缶をさげていた。また、各自の背負袋には、毛布か布団1枚、綿入り冬服1着、先とかかとにかねを打った丈夫な布靴3足が入っている。これらは人民から餞別(せんべつ)にもらったものが多いが、そのほか乾燥野菜、胡椒なども贈られた。また各自が飲用コップをもち、箸を巻脚絆にさしこみ、軍帽のつばの裏に針と糸をつけていた。全員が、竹を薄く二重に編んで油紙を貼った、晴雨兼用の大きな編笠をかぶっていて、背負袋に番傘をさし込んでいるものも多い。そして全員が小銃を身につけていた。

 

 「みなが同じ服装と装備を身につけていた。そしてみなが武装していた」

 

 「われわれはまだソビエト地区にいて、人びとは別れを告げに出て来てくれたが、敵地に入る前に夜間行軍に慣れておくために、行軍はたいてい夜だった。10月14日、われわれは集合地点の寛田に着いた。興国戦線で戦っていた林彪指揮下の第一軍団と、東部戦線にいた彭徳懐指揮下の第三軍団は、われわれ後続部隊の進路を安全なものにするために、すでに出発していた。野戦参謀長劉伯承もそれに同行していた。