Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

空襲をさけるため敵地を夜間行軍 『偉大なる道』第9巻①ー5

 「10月21日に第一、第二軍団は信豊地区の敵の第一防衛戦を通過した。われわれ後続部隊もそれにつづいた。11月3日われわれは敵の第二防衛戦を通過し、10日後にオウ漢鉄道に沿う第三防衛戦を突破した。われわれが敵の第二防衛戦を打ちやぶって、その背後に出るまで、敵はわれわれの行動に少しも気づかなかった。

 

 「敵地に入ってからは、空襲をさけるため、たいてい夜間行軍をした。月が出てそよ風がふく夜などの夜間行軍は、すばらしい。近くに敵の部隊がいないときは、一つの中隊が歌うと他の中隊がこれに呼応して歌う。暗い夜だと、敵が遠い場合は松の枝や割竹でたいまつをつくるが、ほんとに美しかった。山のふもとから見上げると、えんえんたる火の列がまるで火焔竜のように山腹を取り巻いて登っていった。山頂から見下ろすと、山の両側数マイルのたいまつが火の波のようにうねってゆく。そして部隊の過ぎていく方向の空は、ばら色の輝きで明るく映えた。

 

 「われわれは江西省を通り抜け、広東、湖南、広西省境の山の尾根に沿って進んだ。何週間もかかって、戦闘しながら平野を突破しなければならない時もあった。そのときは、町々を占領し、地主の蔵や敵の弾薬集積所から補給した。われわれは3つの縦隊になって並行して進んだ。右が第一軍団、左が第三軍団、中央がわれわれで、後衛の第五軍団がわれわれに続く。

 

 「湖南省南部だけでも9万の敵軍が集められた。だが恐怖にかられた軍閥の何鍵はそれでも不安で、われわれが賀竜の第二軍団と合流するのを防ぐため、一帯の8つの県にわたって焦土戦術を実行した。そして何鍵は、自分たちが放火破壊のかぎりをつくしながら、逆に紅軍が湖南南部を荒らしたと宣伝した。広西省の軍閥たちも、われわれの進路から農民を追っぱらって村々を焼き、紅軍がやったと逆宣伝した。われわれが行ったこともない、はるか南方の村々が燃えているのを見たこともたびたびあったし、広西側の手先が村に放火しているのを捕まえて射殺したこともあった。