Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

紅軍将兵が残した『長征史』より 『偉大なる道』第9巻①ー7

 長征は、革命戦史上の一大叙事詩であるだけでなく、偉大な民族文学の苗床だった。紅軍将兵数百人の物語、詩、スケッチ、日記などを集めた上下2巻の『長征史』が出版されているが、私はその中に次のような物語を見つけた――

 

 「われわれは、どんな時にもっとも辛い試練を受けたかといえば、狭く危険な山路を進んでいるときや、その先の方で狭い峠を抜けたり、狭い橋をわたったり、氷のような渓流を泳いだりしなければならないような場合だった。そんな時は、先の方の部隊から遅れてくるので、後の方では一歩ごとに十を数えられるほど、じっと立たされる。進むことも、すわって休むこともできない。立ったまま眠りこんでしまうものさえいた。

 

 「時にはまた、体をたたきつけるような猛烈な暴風雨の中を行軍した。たいまつも使えないし、道はすべるし、危険きわまりない。そして一晩かかって2,3里(約9.8キロ)しか進めないこともあったし、水びたしのまま野天で夜を明かしたこともあった。

 

 広西省境の老山では、前の人の足の裏しか目に入らないほど険しい山をよじ登った。山の地はだの岩に段々が彫ってあったが、それは人の腰くらいの高さだった。政治工作員たちは、のぼったりくだったりして、へたばろうとしている人たちを励ましたり、傷病者を助けたりした。……先遣部隊が切り立った崖にぶつかって馬を引き上げることができない、という知らせが前の方からつたわってきた。しばらくして、現在地で就寝し明朝登山を続行せよ、という命令がきた。

 

 「この小道はどこも幅が2尺(60.6センチ)ぐらいしかなかった。たとえ横になることができても、寝返りを打てば、山腹をころげ落ちる。そのうえ、いたるところに大きな岩が突き出ていて、道には、尖った小石がいっぱいある。

 

 「仕方がないので、私は毛布を折って下に敷き、できるだけ身体を縮めて横になった。ひどく疲れていたから、ぐっすり寝こんだ。夜中に何度か寒さで目がさめた。私は毛布で身体をつつんで、小さなまりのように、できるだけ身体を丸めた。だが寝入れなかった。私は横になったまま、空にまたたく星をみつめた。それは黒いとばりの上の硬玉のように見えた。私のまわりにそそり立つ黒い峰々は、おそろしい巨人のようだった。われわれは井戸の底にいるように思えた。

 

 道のあちらこちらに、寒さで目覚めた人たちのともした小さな明かりが見えた。彼らは差し向かいにすわったり、低い声で話したりしていた。そのかすかな声以外は、あたりは静寂そのもので、それは耳に響いてくるように感じられた。――近づいてきたり遠ざかったり、高くなったりかすかになったり、時には、桑の葉をくう春蚕のざわめきのように聞こえた。私がもっと注意深く聞きとろうとすると、その声は山の泉のつぶやきのようにも、また遠い大洋のざわめきのようにも思われてきた……

 

 「あくる朝私たちも、前夜、部隊を立ち往生させた切り立った断崖に到着した。それは雷公崖という90度の角度で空中に突き出た岩の崖だった。その表面に、幅1尺(30.3センチ)ほどの階段が彫られていて、われわれは何もつかまるものなしに、この段を登らなければならなかった。崖の下は足を折った馬が横たわっていた。

 

 「いちばん苦労したのは衛生隊だった。担架からおろした傷病兵を、這って登らせるか、押したり引いたり背負ったりして登らせるほかなかったからだ。衛生隊の婦人同志たちは、疲れた気配も見せず、たえず患者をなぐさめたり、助けたりした。

 

 「老山はわれわれがそれまでに登った中で、もっとも困難な山だった。――だが、金沙江、大渡河、大雪山脈、大草原などを通過した後になってみると、老山の困難などは、大したことではないと思われた」