Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

新聞にのった妻と息子の最期 『偉大なる道』第9巻①ー8

 1935年1月、紅軍は大損害をこうむった後、貴州省に押しいって、敵の防禦陣地を粉砕し、鳥江をわたり、省都貴陽と重慶を結ぶ道路上の要地遵義を占領した。一方、蒋介石は、それまでに揚子江流域の各省から軍隊をあつめて、道路阻塞(そそく)をもうけたり、揚子江のあらゆる渡河点に防禦施設を設けたりして、紅軍の北進に備えた。それと同時に四川の軍閥たちは、テロ政策を始め、少しでも自由主義の傾向があると思うものを、片っぱしから逮捕処刑した。

 

 その当時のことだが、朱将軍は、国民党側の新聞に、彼の2番目の妻ユー・チェンと息子に関するニュースがのっているのを見た。国民党軍国主義者どもが、南渓の彼の妻の家をおそい、すべてを破壊してしまった。19歳の学生だった朱徳の息子は逃れ、「目下追跡中」という簡単な記事だった。朱将軍は、息子が紅軍の彼のもとにたどりつくのを、首を長くして待った。しかしふたたび、妻や息子の消息をきくことはなかった。彼らが国民党に殺されたことは、彼にとって疑問の余地のないことだった。