Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

地主の逃亡と義勇兵の獲得 『偉大なる道』第9巻①ー10

 紅軍は、敵の五個師団を壊滅させ、新たに2万近い義勇兵を獲得した。また大胆不敵な政治工作員たちは、あらゆる町や村に入りこんで、民衆大会や民衆の組織に奔走した。紅軍は貴陽を包囲したが、残念ながら多勢に無勢だった。しかも蒋介石は貴陽から逃げた。


 私は、朱将軍が保存していたその当時の記録類の中に、鉛筆で走り書きしたたくさんの書き付けを見つけた。小さな部落でひと休みしているときや、夜更けの寝る前に、走り書きしたものらしかった。ひとつには、1月15日の遵義の民衆大会のことが書いてあった。この大会では彼がカール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルグを記念する話をしたが、その間敵の爆撃機が近くの町を攻撃していた。その同じ書き付けには、労働組合が組織されたことも記されているが「組合員は、白軍が帰ってくれば殺されることを心配していた」と書いてあった。実際2百人が殺された。

 

 またほかの書き付けを見ると、朱将軍が絶えず民衆の生活問題を気にかけていることがわかる。その一つには次のようなことが書いてある。

 

「とうもろこしとキャベツ少量が民衆の主食。百姓は貧乏で、米は食わない。小作料や利子を払うため、それを売る。軍閥は『戦時糧穀税』として米を取り上げる。……百姓は地主を『年貢旦那』とよび、自分たちを『ひぼし』――あらゆるものをカラカラに吸いとられた人――とよぶ。塩の3種類――白いのが金持用、褐色が中流階級用、黒いかすが働く大衆用。黒い塩でも高いので、百姓は小さな塊を碗にいれておき、キャベツをそれにこすりつけて食う」

 

 朱徳が次のようなことを書き付けたのは、部落で休んでいた時のことだろう。

 

「いたるところ、どす黒く腐ったわら屋根のみじめな茅屋。とうもろこしの茎と竹でできた小さな戸。……町の地主の家以外では綿ふとんを見たことがない。ここは10人家族。木の寝台2つ――ひとつが夫婦と赤ん坊用、もうひとつが祖母用。ほかのものは火の近くの土の上で何もかけずに寝る」

 

 別の書き付けには――

 

 「人民は地主の古い蔵のあとから腐った米を掘り出す。僧侶は、それを『聖米』――天から貧民にさずかったもの――とよぶ。いたるところ、道教と仏教の寺、町には基督教会。基督教信者の唱える4つのスローガン――日本商品をボイコットしよう、英米商品を買おう、アカと戦おう、神を信じよう」

 

 次の書き付けは村の茅屋にいた時に違いない。

 

 「若い農業労働者。紅軍は『書物を読む』軍隊だから、とても自分などは入れないとへりくだっている。彼がいうには、地主のところで5年働いて、食事付で銅銭3千枚もらった。地主は紅軍がくると逃亡した。労働者は米、小麦粉、とうもろこしをもって家に帰った。軍閥にとられないように、それを埋めた。地主の家にとってかえして、母親のために、ふとん1枚とズボン1枚をとってきた」