Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

石達開の大平軍がほろびた安順場 『偉大なる道』第9巻②ー3

 5月の末、林彪の前衛師団は大渡河に沿う市場町の安順場に達した。かつて、石達開の太平軍がほろびたのはこの地だった。

 

 このすさまじい川は、万年雪におおわれたチベット山脈の前哨としてそそり立つ死の山々から、急な流れとなって下っていた。断崖にぶつかっては雷のようにとどろき、たちこめるしぶきに虹がかかっていた。川は安順場のところで幅が広くなっていて、ここには80人乗りの渡し舟が3隻あった。そのうち1隻だけが安順場側につながれていて、他の2隻は向かいの北岸にあった。そこでは四川部隊が陣地を築き「太平軍と同様に紅軍を打倒せよ」という蒋介石の命令を遂行しようと待ちかまえていた。

 

 太平軍の将兵達の霊魂が、暗い夜に復讐をもとめてすすりなくといういい伝えがあるのはこの土地だ。林彪の前衛部隊といっしょに先行した朱将軍が、身辺の部下たちに、彼が少年時代に機織りじいさんから聞いた石達開の革命軍の話をしたのも、この場所である。

 

 話の途中に一人の兵士がやってきていった。「豚を買って殺しました。肝など少しばかり『とって』おきました。食事にしてはどうでしょう」


 「そりゃいい」朱将軍は愉快そうにさけんだ。「わしは料理がうまいぞ。さあ、君、肉を切ってくれ。わしが料理する」

 

 10人あまりの者が、彼について司令部のおかれた家の中に入った。そして彼が料理するいい匂いをかぎながら、太平軍の話の続きを聞いた。料理が出来て食べているとき、朱将軍は、肝を「とって」きた兵士に向いていった。

 

 「腸が手に入ったらもってこい、口につばきのたまるようなうまい料理を作ってやる」

 

 食事が終わったころには、林彪師団の渡河準備は完了していた。渡し舟をずっと上流に押して行って、そこで80人が乗り込み、機関銃をすえつけてから、70年ほど前の太平軍と同じように、岸を強くけって乗りだした。そして機関銃や小銃で猛烈な射撃を加えながら、北岸に上陸した。2隻の舟を占領してすぐに南岸にかえし、次の兵隊をわたした。翌日までには師団全部がわたりおえ、北岸の敵の堡塁は紅軍の手に帰した。そこへ主力が着いた。だが敵の爆撃機もやってきて、渡し舟や安順場を爆撃しはじめた。この場所以外で渡河できるのは、140マイル(225キロ)上流の有名な吊り橋のある瀘定の村だけであった。そこにも四川軍の守備隊と強固な防禦施設があるが、林彪の前衛師団が背後から攻めれば、その間に主力を渡すことができるはずだ。