Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

瀘定橋の戦闘勝利をもたらした英雄の犠牲 『偉大なる道』第9巻②ー5

 瀘定橋の戦闘は一時間ほどで終わった。戦死17名、火傷と戦傷は多数、ひどい火傷も若干あった。この戦闘に、朱や毛といっしょにいた参謀将校から聞いたが、朱は一言も発せず、身動きもせず、石のようにじっと立ったままだったという。彼は、紅軍と抗日戦の全運命がこの瞬間に決定されること、と同時に、中国の過去の戦士たちが失敗した事業を20世紀の労働者農民がいま成し遂げつつあることを、理解していたのである。

 

 午後おそく敵が橋と部落を爆撃し始めると、朱将軍は撤退を命じた。彼はその晩の記念集会で演説をした。朱将軍は聴衆に向かって、17人の英雄は生命を犠牲にして懋功に向かう軍の進路をひらいたこと、紅軍はそこで第四方面軍と落ち合い、華北に進んで抗日戦を戦うことを話した。

 

 1935年5月30日は歴史的な日だ、と彼はつづけた。それは中国の学生や労働者が上海でイギリスの帝国主義者に虐殺された十周年記念日だった。また、72年前の5月には、石達開は大渡河をわたろうと決意した。

 

 この72年間の中国の歴史を簡単に述べてから、朱将軍はその後もたびたび口にする主題にうつった。

 

 「英雄主義は昔からある考えだ。過去の時代には、英雄ひとりが民衆の上にたっていたので、民衆をけいべつしていた場合も多いし、ときには民衆を奴隷にしようとした。紅軍は新しい英雄主義の考えを身につける。われわれは革命の英雄大衆をつくりだす――それは一点の私利私欲もなく、あらゆる誘惑をしりぞけ、革命のためには喜んで死につき、生きていれば、わが国土人民の解放の日まで闘いぬく人びとだ。

 

 「われわれの前途はこれまでよりもはるかに困難だ。世界で最も高い山々、万年雪をいただき氷河におおわれた山々を越えなければならないし、自分で道を切りひらかなければならないこともおおいだろう。われわれは自分で橋をつくって激流を渡らなければならない。チベットと中国との国境のこの広大な地帯には、見境なくあらゆる中国人を襲撃する好戦的な部族がいる。中国の圧倒的な政権は、過去何世紀ものあいだ、これらの部族民を根だやしにしようと努力し、それに成功した場合もある。だがわれわれは、われわれが中国の労働者農民と協力したように、これらの抑圧された部族と、友人にならなければならない。

 

 「また、われわれの前途の広大な地帯には、われわれをせん滅するために待ちかまえている敵の要塞や何十万もの敵軍がいる。国民党の飛行機は、侵入する日本軍を襲ったことはないが、万年雪をいただく山の中までさがして、われわれを爆撃するだろう。それを避けるため夜間行軍しなければならないことが多いだろう。われわれの困難は大きく、敵の数は多い。だが、われわれが越えることができない山も川もあり得ないし、征服することのできない要塞もあり得ない」