Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

大雪山脈行軍の準備と心構え 『偉大なる道』第9巻③ー1

 地図で見ると大渡河から懋功――中央紅軍はそこで四川からくる第四方面軍と落ち合って、華北に向かう手はずだった――までは100マイル(161キロ)ほどしか離れていない。がそこに着くまでには7週間もかかった。


 前方の氷河や雪のある山を越す準備に10日をついやし、その後1週間休んだ。行軍を開始する前に、小さな戦闘もあった。打箭炉からチベット人の乱暴な一個連隊が四川軍の援軍として攻撃してきたからである。チベット人たちは、羊皮の外套を着ていて、中国人の将校たちは毛皮の縁をつけた制服を着ていた。将校たちは妾を同伴していた。あどけない顔立ちの女たちが、宝石をつけた白い毛皮に身をつつんで、主人らと同じように立派な馬にのっていた。紅軍には毛皮の衣服が必要であった。そこで有無を言わさず、チベット連隊の衣服をはぎ取り、妾たちの毛皮も頂戴した。馬と将校が持っていたいくつかの箱に入った銀貨も捕獲した。

 

 前方の最初の雪山を越える準備として、朱将軍は部下に予定の日程を示して、出来るかぎり暖かく着こむこと、10日分の食糧燃料を携行することを命じた。それといっしょに、瀘定から北の甘粛省境にいたる中国・チベット境界地帯にいる十万の敵軍に関する状況を知らせた――

 

 「これらの敵軍は戦闘力も貧弱で、前に紅軍にやぶれた部隊だ。彼らはきびしい寒さの中で護衛に立ったり、新たに陣地をきずいたりすることは苦手だし、長時間の戦闘にも耐えられないだろう。わが軍の戦闘力ははるかにすぐれており、部隊も政治指導者もきわめて積極的かつ勇敢だから、かならず打ちやぶることができると確信している」

 

 さらに、大雪山中の行軍戦術に関する命令をつけ加えた。山中では「道がせまく、険しいので、部隊の展開はむずかしく、時によっては戦闘がまったく不可能な場合もある」そこで部隊の行軍は1日せいぜい6,7時間とされた。遮蔽物を作ったり、場所によっては白い偽装を用いる準備を整えておく。渡河に備えて敵の舟をとらえたり、皮や木の舟を準備したりする。あらゆる場合、敵に対する正面攻撃を避け、夜襲を綿密に計画する。そして攻撃は常に「敵の抵抗力を打ちくだくまで、同時にかつ継続的に遂行されなければならない」