Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

中央紅軍、第四方面軍先鋒隊と合流 『偉大なる道』第9巻③ー6

 紅軍主力は1週間休憩した後、彭徳懐のあとを追った。朱将軍は出発を前に次の命令を出した。

 

 環境は困難であるが、軍事、政治教育工作はたえず継続され、紅軍の六原則は厳守されなければならない。――(1)命令に従え、(2)敏速に行動せよ、(3)時間を厳守せよ、(4)武器を大事に扱え、(5)衛生管理に注意せよ、(6)互のあいだおよび部族民に対して親切かつ礼儀正しくせよ。

 

 「部族民にたいし親切かつ礼儀正しくあれ」という規律は、守りにくいものだったに違いない。われわれの行軍した道には、行軍と戦闘で落伍した彭軍の兵隊の死骸が、点々と散らばっていた。部族民が殺戮したものだった」

 

 そういう時はどういう態度をとりましたか、と私が朱将軍にたずねると、彼は答えた。

 

 「われわれは、部族民が攻撃してくると追っぱらったが、つとめて、殺さないようにした。彼らの家では何もとらずに、そのままにしておいて、われわれが敵でないことを理解させるように仕向けた。彭徳懐部隊は、後に部族民との関係で多大な成功をおさめた。彼は、われわれが江西でしたように、広い地域を占める部族民政府さえ組織させた」

 

 ついに中央紅軍は第四方面軍の先鋒隊と出会った。辛苦にやつれはてた南方兵たちは、泣き、わめき、歌いながら、バラバラになって同志たちに走り寄った。多くの者は、うれしさのあまり言葉を出すことも出来なかった。

 

 7月20日、彼らは、しのつく雨をものともせず懋功地区の両河口部落に向かって行軍した。第四方面軍と公式に合流するためだ。ポスターやスローガンが、いたるところに貼り出され、村から村へ野戦電話がしかれた。牧場には演壇が設けられた。

 

 私は、この会合とその直後の共産党政治局会議の様子を、いろいろな人から話してもらった。

 

 朱徳毛沢東は、第四方面軍の政治部主席張国燾の到着をむかえるため、雨の中を村から出てきた。それまでに彼らは、第四方面軍の徐向前司令官やその他の将兵と長時間会って話を聞いていたが、その話は不安な気分をかきたてた。