Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

北進政策に異議を唱える張国燾 『偉大なる道』第9巻③ー8

 「われわれは、砂漠でオアシスに近づくような喜びで、懋功に近づいていった。そうした気分も手つだって、張国燾と彼の一派の士官たちの態度にはあきれてしまった。まるで金持ちが貧乏な親戚をむかえるような態度だったからだ。

 

 「張国燾の傲慢な態度は、最初から明瞭だった。南河口で両軍再会の記念式がもよおされたが、彼は30人の騎馬の護衛をひきつれ、舞台にのぼる俳優のようにさっそうと乗り込んできた。彼を迎えて朱と毛とは小走りに進み出ていった。彼は立ち止まったまま、彼らが近づくのを待っていた。途中まで近寄りさえしなかった。朱将軍は集合した部隊を前に、張国燾の長い革命経歴をたたえる演説をしたが、張は朱将軍を『8年間われわれとともにたたかった人』といって自軍に紹介しただけだった。

 

 「われわれの党だけが、紅軍の政策や戦略や戦術を決定することができるのだ。華北に向かうという長征の方針は前から決まっていた。政治局は、今後の北進の経路を決めるための会議を、記念式に続いて両河口で開くことを前もって通知していた。にもかかわらず張国燾は、集合した部隊に向かって、彼個人の計画を発表した。そして、ソビエト基地を樹立し『新世界を建設する』には、西康と四川西部の広大な境界地帯が理想的だと述べた。

 

 「われわれが長征をおこなったのは、はるか遠い中国・チベット境界地帯などにかじりつくためではなかった――いま、日本は次から次へと中国の省をかすめてゆき、国民党の売国奴たちは降伏ばかりしているではないか。

 

 「もちろん、大きな革命の昂揚期には、あらゆる種類の問題が出てきて、間違いを犯すこともある。だが問題は解決されなければならないし、間違いは訂正されなければならない。そこで政治局の会議では、第四方面軍指導部の間違いについて率直に論議された。しかし張国燾は、かんたんに間違いを認め批判を受け入れるような男ではない。彼は、傲慢にも、彼の5万の部隊の良好な状態と、われわれの軍の貧弱な状態を比較するようなことさえいった。紅軍を指揮する能力があるのは彼ひとりだといわんばかりだった。そして、北進の政策をやめ、辺境地帯にとどまって革命基地をきずくことを主張した。