Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

張国燾に脅迫された朱徳の決断 『偉大なる道』第9巻③ー10

 「第一は、毛沢東を弾劾して彼とのあらゆる関係を切れ、ということだった。

 「朱将軍は『われわれは一心同体だから、ひとりの人間をふたつに分けることができないように、自分と毛との関係を切ることはできない』と答えた。

 

 「張の第二の命令は、華北に移動して抗日反蒋解放戦を開始するという党の決定を拒否せよ、ということだった。朱将軍はこれに答えて『その決定には、自分もかかわって努力したのだから、拒否することはできない』といった。

 

 「張国燾は朱徳に、考えなおす時間を与えるが、それでも命令にしたがわないならば射殺する、と告げた。朱は答えた『それは君の力でできることだ。自分は押しとめることはできない。だが断じて君の命令にはしたがわない!』

 

 「いろいろな原因から、張国燾はその脅迫を実行できなかった。第一は第九軍団と第五軍団の存在だった。彼らは朱徳と彼の参謀を奪回して東縦隊にとって返すことを望んでいた。張国燾はそんなことをやらないよう警告を発した。こうして、中央アジアの高原でいつ残酷な争闘が勃発するかも知れないような情勢に直面した朱徳と彼の参謀は、ついに覚悟を決めて張国燾にしたがって引き返すことにした。

 

 「張の指揮にうつった西縦隊は引き返し、1年後に賀竜の第二方面軍3万5千がやってくるまで、その地方にとどまっていた。賀竜軍は中央軍とだいたい同じ経路をとって長征をおこなった。ただ、われわれのやったおそろしい山脈越えだけは避け、西によって打籠炉を迂回して、第四方面軍と合流した。

 

 「賀竜と政治部主席肅克は、事件の一部始終をきき、朱徳と参謀長が我慢に我慢を重ねて張国燾と協力していることを知った。そこで張に向かって、朱徳に指揮権をかえし、彼の指揮のもとに華北に進軍するよう、真剣に忠告した。そのときには毛の縦隊はとっくに西北に着いていて、日本の侵入ルートを真横に横切る強力な革命基地を開拓していた。また、そのときまでには、全国の政治情勢も革命側に好転していたし、西康の食糧事情もひどかったので、ついに張国燾は同意した。そこで朱徳がふたたび指揮をとり、毛沢東に合流するために北進を開始した。だが張は、依然として第四方面軍の指揮部にとどまっていたので、軍の教育はやはり好ましいものでなかった」