Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

朱徳の西康省での憂愁の一年 『偉大なる道』第9巻③ー11

 朱将軍が、事実上張国燾の捕虜のような状態で西康省ですごした1年間のことについては、私は、彼からは話がきけなかった。私たちの会談が彼の生涯のこの時期にさしかかったとき、抗日戦がはじまって、彼は前線に出動したからである。そこで私は、ほかの人の話や、彼がこの時期に書いた軍事や政治に関する書きものに頼るしかなかった。それから判断すると、朱将軍は、西康にいるあいだに精力的に書きものをしただけでなく、四川軍閥軍との戦いでは全力をあげて張国燾を助けたようだ。

 

 彼がこの時期に書いた報告書のひとつは、軍閥軍隊の分析だった。いまひとつの、西康省西部の甘孜にいたとき書いたものらしい、日付のない報告書では、万年雪のある山岳での戦術をあつかっていた。私はそのページのあいだに2枚のけばけばしい桃色の紙を見つけた。それには、当時の憂愁の心に訴えるものがあったと思われる二つの古詩の断片が走り書きしてあった。

 

  なみだは黄河にあふれ、

  悔恨は三嶺に重なり、

  華山はその重みに沈む。

  …………

  愛人の門前に桃の樹は生い、

  樹下に鉄の橋がある、

  橋をわたりつつ愛するものは衰えてゆき、

  橋をわたりつつ愛されるものも気力をうしなう。

  鉄の橋が錆びはてるとき、

  愛もまた消え失せよう。

  (華山は陝西省南部の山の名)

 

 朱徳はラジオで世界情勢に通じていた。それは彼がアビシニア(エチオピアの旧名)軍の戦術や帝国主義諸国のイタリア・ファシズム支持について、詳細な分析をおこなっていることからもわかる。