Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

荒涼たる大草原のすさまじさ 『偉大なる道』第9巻④ー2

 紅軍は大草原の東の縁にそって進んだ。そこでは沼沢もそれほど深くなかったし、騎馬の部落民が時たま利用する狭い筋のような土地があった。各自8日分の食糧と燃料を携行した。行軍の先頭に立った林彪の第一方面軍は、後続部隊の避難所を作るために、竹のすだれも運んで行った。各自の食糧は炒った小麦と茶であった。

 

 紅軍の一人は『長征史』の中で、次のように書いている――

 

 「毛児蓋付近の友好的な部族民――彼らは中国文化に感化されていて、やや友好的だった――が、毛の靴下と羊皮を持ってゆかないと凍死する、と忠告してくれた。われわれはできるだけたくさんそれを集めたが、こんな大勢の人数にゆきわたるほど買い入れることはできなかった。

 

 「大草原に入る直前、われわれの後ろの方で銃声がした。騎馬の部族民の一団が、道に迷って隊から離れたものを襲い、小銃を奪っていった。第一日は10時間行軍した後、両側の草をテントのように結んだ下で、狭くて冷たい道の上に横になって寝た。

 

 「4日目に入って行った地帯では、われわれは膝までどろどろの汚泥に沈み、馬は押したりたたいたりして引き出さないといけなかった。空には雲が重くたれ、葉ずれの音がするだけで、まるで死の世界であった。

 

 「私はひとりの同志に、もし彼が作家だったら大草原をどう表現するかと、たずねてみた。砂漠、と表現したいな、と彼は答えた。ただ、違うところは、ここでは砂ではなくて水と草がすべてだ。砂漠では渇いて死ぬが、ここには水はいっぱいある。そして砂漠では太陽が照るが、ここではまったく陽が見られない。また『砂漠では蜃気楼がみられるというが、ここにはそんな楽しみもない』といった。われわれは結局、大草原とは、足がいつも水浸しになって、馬のひづめの跡が立ちどころに消えてしまって、人や馬が草の株の間のどろどろした汚泥に落ち、引き上げられても寒さに震えたところ、ということで意見が一致した。そしてあたりの荒涼たるすさまじさをありのままに表現することはできないということでも一致した」