Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

張学良、民族統一戦線結成提案 『偉大なる道』第9巻④ー6

 ファシスト胡宗南軍や、回教軍、旧東北軍と何回も激戦を交えた後、1935年10月20日、毛の縦隊はついに陝西省北部に到達し、劉志丹のひきいる1万の紅軍遊撃隊と合流した。劉の遊撃隊は1927年以来この地方で戦っていた。1934年第四方面軍が西北に残していった徐海東の連隊は、今では師団に成長して甘粛省東部で戦っていた。

 

 その1年あと、朱徳はのこりの紅軍をひきいて、主力とほとんど同じ経路を行軍し、1936年10月6日、甘粛省南部の徽県で林彪の第一方面軍と連絡をとった。

 

 これとほとんど同じ日に、1931年日本のために満州を追われた旧東北軍の総司令張学良将軍が、陝西省西安から蒋介石総統に電信を送り、抗日のために紅軍と民族統一戦線を結成することを提案した。蒋は憤慨してこの提案をしりぞけ、共産主義者がいっぱいいると蒋が非難した、西安の軍政訓練学校を閉鎖するよう、青年元帥に命令した。青年元帥は、彼の学校は、祖国を愛し祖国のために戦うことを望むものものならば、だれでも入校させている、と答えた。

 

 蒋介石総統は、洛陽に「掃共軍事会議」を召集し、集った西北の将軍達を前にして、中国の第一の敵は日本ではなくて「反逆者紅匪」であるとのべた。胡宗南や王均など、甘粛に派遣された蒋の最も優秀な司令官達は、彼の意見に賛成したが、紅軍との戦いで多くの連隊をうしなった青年元帥の考えはちがっていた。

 

 そうした情勢の間に、日本軍は華北五省を包囲して切りとるため、綏遠省に侵入しつつあった。華北の鉱山、鉄道、その他戦略資源は、日本が全中国を計画的に征服するために、必要不可欠なものだった。これに対して綏遠省長官の傅作儀将軍が戦闘を開始した。だが激高した全国民は、彼の部隊がほんのしばらくしかもちこたえられないことを知っていた。何千人もの華北の学生が、戦いに加わるためにぞくぞくと綏遠にむかった。ところが、蒋介石がしぶしぶ綏遠に送った三個師団は、前線にも出ず、日本軍に対して一発もはなたなかった。