Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

日本の綏遠進撃と蒋介石による第六次掃共戦の準備 『偉大なる道』第9巻④ー7

 日本の綏遠進撃は、蒋介石のあらたな掃共作戦と呼応して、紅軍だけでなく、青年元帥張学良の旧東北軍や彼と同盟関係の楊虎城の陝西省「保安軍」に対する挟み撃ち作戦の形になった。蒋は、紅軍討伐に対する西北軍の反対気運を「規律と指導の欠陥」に過ぎないと解釈して、事態を刷新するために12月11日西安で特別な掃共軍事会議をひらくことにした。西安は青年元帥と楊将軍のそれぞれの司令部の所在地であった。

 

 この西安会議につづいて、ただちに実施にうつる予定であった第六次掃共戦の準備として、蒋は、全作戦に必要な食糧、弾薬、現金、衣料などといっしょに、新たな師団を甘粛省に輸送した。それと同時に、武器をもつ数百人の秘密警察を、無電機とともに秘密裏に西安に送りこんだが、それは青年元帥に対する武装蜂起を準備するためであった。

 

 憤慨した共産主義者その他の中国人は、内外の情勢から判断して、国民党と日本との間に、中国のすべての抗日勢力に対する共同の陰謀が存在することを確信した。塘沽協定と何応欽・梅津協定は、この確信を裏づけるものだし、日本と南京の多くの公式声明もまたそうであった。

 

 たとえば、毛沢東縦隊が西北に着いてまもなく、日本の外務大臣広田広毅は「アジアの共産化を防止する」ための東京・ベルリン・南京防共協定を提案した。そのすこし後に、広田は議会で次のように声明した――

 

 「東洋における共産主義活動の抑圧、したがってまた中国を赤の脅威より解放することは、単に中国のみならず極東および世界の安定のため、最優先される重要課題だ。……共産主義を根絶するため、種々の方法で中国と協力することを、日本政府は切望している」

 

 広田はさらにつけ加えて、今日なお中国で、学生の扇動的運動があることは「日本にとってまことに遺憾」であり、「それはわれわれの企図する精神と背馳する」ものだ。しかし「現在の状態は、中国当局によって、間もなく匡正されることを期待している」