Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

日本と南京政権vs愛国者たち 『偉大なる道』第9巻④ー8

 南京政権は、1936年11月の東京・ベルリン防共協定には調印しなかったが、蒋介石の外交部長張群将軍は「中国は共産主義に対する断固たる態度を一時も放棄するつもりはない」ことを、くり返し日本に保証した。

 

 親日要人として有名な張群は、すでに1935年のはじめにも、日本政府にむかって、中国政府は中国の共産主義に対する日本の関心を了解しているが、「それは一国内における扇動は隣国にも影響するからであり」そして中国政府は害悪の根源をすみやかに除去するため、断固たる闘争を続けている、という了解をあたえている。

 

 そこで、蒋介石の新たな掃共戦は、日本が直接に協力していないにしても、少なくとも南京その他主要都市にいる日本の軍事代表と外交代表の監視の下におこなわれた。青年元帥の本拠の西安は、中国の戦略的要地の中で、そのような日本の「オブザーバー」たちがいない唯一の都市だった。四川省では、民衆がその種の「オブザーバー」の日本人を襲撃した。国民党軍と秘密警察は躍起になって、そうした事件の発生を抑えた。法律家、銀行家、新聞人などをふくむ数千人の愛国者たちが、内戦の停止と抗日統一戦線の樹立を要求したという理由で「共産主義者」として逮捕、投獄、または殺害された。

 

 朱徳が紅軍をひきいて、チベットと中国の辺境地帯から西北に入ってきた当時の、政治、軍事上の情勢は、以上のようなものであった。長征はまさに成就されつつあり、紅軍は歴史との出会いの道に立ちつづけた。