Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

朱徳の軍、第一方面軍と再会 『偉大なる道』第9巻④ー9

 朱徳の軍と林彪の第一方面軍がおちあった当時の状況については、1936年の夏、紅軍に加わったアメリカ人の若い医師、ジョージ・ヘイテムの書いたものがある。ヘイテムはスイスとシリアのベイルートの医学校を卒業した医師だが、紅軍衛生部隊に参加して、ひきつづきこの重要な時期の間、紅軍と行動を共にした人である。

 

 このアメリカ人医師は、手紙や日記のなかで、第一方面軍が甘粛省中南部の六区を占領して辺境地区から入ってくる朱徳軍の到着を迎えた、当時のありさまを伝えている。徽県の県城と付近の部落の全戸が、朱徳軍のために部屋を提供した。一方、第一方面軍は朱徳軍に給付するため、紅軍衣料廠で作った4万着の冬服と食糧を運びこんだ。

 

 ひとりの農民は、朱将軍から第一方面軍にあてた第一報を伝えるため、四日がかりで急行してきて、返事をもってすぐ引き返していった。

 

 朱将軍の先鋒師団は、1936年10月7日徽県に着いた。しかし後続部隊に余地を残すため、県城を通り抜けて先へ進んだ。

 

 翌日8日には第四方面軍の部隊が、朱将軍と張国燾に同行して到着した。第四方面軍ののこりの部隊は、その翌日着いた。しかし賀竜と肅克がひきいる後衛の第二方面軍が着いたのは、10月19日から20日にかけてだった。

 

 これらの部隊は、ヘイテムがいうには、比較的良好な状態であり、兵器はむしろ優秀であった。彼らは途中で何十回も戦ってきたので、みな捕獲した余分の小銃、機関銃、弾薬などをかついでいた、だが人数が多すぎて、準備した4万着の冬服では間にあわず、追加しなければならなかった。そのため、ぼろぼろの賀竜軍が、新しい制服を受領したのは2ヵ月もたってからであった。

 

 ヘイテムは朱徳将軍のことを「幽霊のようにやせているが、丈夫で強くて、ひげをのばしっぱなしにし、しらみだらけの毛皮の外套を着ていた」と書いている。朱将軍はここで新しい冬服と外套に着がえた。しかし、ひげは、毛沢東ソビエト政府と紅軍総司令部をおいた陝西省北西部の保安に着くまで、落とさなかった。