Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

あきらかになった長征の目的 『偉大なる道』第9巻④ー13

 「11月9日、10日、11日。第一、第二、第四各方面軍司令官が連日朱徳や参謀と会合。蒋の軍隊は依然として集中しつつあるが、われわれはもう後退しない。戦闘を前にした、息詰まるような数日、方々で紅軍戦士の集会がひらかれ、なぜわれわれが広い地域から撤退してきたかが説明される。――それは、抗日戦のため、あらゆる部隊を出来るだけ傷つけたくなかったためであり、敵を統一戦線側に獲得するためでもあった。王均将軍が飛行機の墜落事故で死んだ。われわれがその死体を見つけた。朱徳は四川にいた頃、この男を見たことがある。

 

 「11月23日、24日。戦闘は終わった。紅軍は爆撃機の来ない夜明けに攻撃をおこなった。寧夏大平原からくる身を切るような寒風が吹きとおしていた。手指はこごえて、引き金を引くのも手榴弾のふたを取るのも、思うようにならなかった。そこで銃剣突撃を敢行した。敵兵をひっつかんで武装解除したものも多かったし、すりこぎ状の柄のついた手榴弾棍棒がわりに使って敵兵を頭からたたきふせたものもいた。紅軍騎兵(元東北軍)は支離滅裂になって逃げる白軍の連隊を追撃した。敵兵の死体が、数マイルにわたって路上に散らばっていた。私はある谷のはずれで、150の敵兵の死体が重なっているのを見た。その他の場所でも数百の死体を見た。また数百人の敵兵が渓谷や空井戸に落ちて死んだ。われわれは綱でそれを引き上げるのに一日かかった。

 

 「捕虜と話をした。彼らは湖南から鉄道でつれてこられたが、日本と戦うために綏遠に送るといって連れ出されたのだという。紅軍と戦うために列車からおろされた時には、俸給を二倍やるといわれたけれども――もらったことはない。ファシストが、部隊中に入りこんでいて、紅軍の残虐行為を吹きこんで、兵士たちをかりたてているという。捕虜たちは、今では大事に扱われ、毎日講義や芝居を見聞したり、わが軍の兵士と接触したりして、啓蒙されている。胡宗南将軍は陣営の立てなおしをやっている。

 

 「12月3日。私は、ソビエト政府と紅軍の本拠である保安に帰っている。朱将軍や毛沢東や参謀たちは会合して、長時間討議した。人びとが張国燾を『口先のうまい男』と噂しているのをきく」