Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

長征の終幕と張国燾の裏切り 『偉大なる道』第9巻④ー14

 以上のようにして、江西省寛田を出てから満2年1ヵ月と19日で、長征という一大叙事詩の幕がおりた。再集結した紅軍の実勢力は、8万で、1934年10月に江西を出発したときの中央軍の戦闘力とほぼ同じだった。西北の山野に集まったこの勢力は、歴史的に類のない独自の勢力だった。

 

 紅軍の本拠は、1937年1月から延安に移ったが、そこで張国燾は党中央委員会の審判にかけられた。党の創立に力のあった彼自身が、党の基本綱領と政策に違反した。張と彼の配下の少数の将校は、部下の将兵や、彼が捕虜にした朱徳や劉伯承や他の参謀などの証言に対抗して自分たちを弁護した。

 

 この審判で朱将軍は、彼自身が張からどのように扱われたかということには、少しも触れず、張が紅軍と党との綱領や政策を犯した点だけを問題にした。張は愛想よく、しかも狡猾に、朱徳に対する態度を陳謝し、審判の決定に服した――それは誤りが矯正されるまで学習する、という決定であった。

 

 1938年の夏、抗日戦がはじまった時、国民党軍事使節の一行が延安を訪れたが、彼らは帰るときひそかに張国燾を漢口に連れ去った。張はそこで、恐るべき秘密警察・藍衣社の首領載笠将軍の幕僚に加わった。

 

 朱将軍とこの事件の話をしていた時、私は何千という中国人が、日本の中国征服を積極的に手伝っていることや、共産党創立者の一人さえも秘密警察に加わって、中国の進歩主義者を狩り立てる結果になったことを憤りながら嘆いた。