Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第9巻「長征」を読んで 

この本を読むまでは、長征については内容的にはほとんど知らなかったので、ただ驚くばかり。それも侵略してくる日本軍と闘うために、兵力を温存して統一戦線の結成をよびかけるためだったとわかるとなおさら。ことはすべて計画的におこなわれた。

 

長征について、中国は国威発揚を意識した建造物や出版物を自らの手でたくさん世に送りだしてきたと思うが、スメドレーの朱徳たち革命側への敬意と愛情と客観性という点で、この本は国内で発行された本と比べて、引けをとらないのではないだろうか。

 

長征は、いろいろな確執を経て、毛沢東が権力を握っていく過程でもあった。「革命は、客を招いてごちそうすることではない」は毛沢東の有名な弁で、実際地主やそれに類する階級に属する人びとを大衆裁判を通して処刑したらしい。建国後の大躍進や文化大革命の時代ではなく、革命途上で内戦中のことであるし、国民党側の無差別の民衆大虐殺に比べても、一方的に責められることではないと思っている。

毛沢東に会見したエドガー・スノーは、このあたりは各自が資料を求めて判断することとしている。スメドレーも、この本では意図的かどうかわからないが、さらっと流している感じがする。

 

(気になるキーワード)

 

陳毅―
最高司令官として長征に参加せず残留。

   

李徳(オットー・ブラウン)―ドイツ人

ロロ族との同盟―劉伯承はロロ語を少し理解できた人だったらしい。ロロ族の酋長

        と会 衆の前で鶏の血を飲むことで同盟を誓うシーンは忘れられ

        ない。中国でこういうシーンを映像化したことあるのかな。

        衛生的にはかなり問題はあるが。

大渡河(だいとが)―70数年前、太平天国の石達開の軍はこの河を渡れず滅びた。

          蒋介石は歴史を繰り返せと命令したが、この事実を民衆の

          一人として知っていた。それに対して、朱徳は笑って、

          2回目は茶番だと言い切った。

菫必武(とうひつぶ)―朱徳と同じ1886年生まれで、法政大学で学び、日本での

           孫逸仙孫文)の側近のひとりだった。その後

           中国共産党設立メンバーの一人となり、毛沢東が建国宣言を

           したときには近いところで見守っていたはず。共産党設立

           メンバーとして天安門に立ったのは毛沢東とこの人だけ

           だったらしい。孫逸仙を知るこの人が、なんとか生き延び

           て、建国の瞬間に立ち会ったことは感動だ。筋を通した。

安順場―日本語では[あんじゅんじょう」と呼べばいいのかな。72年前に石達開の

    軍が滅びた船着場。暗夜に亡くなった兵士のすすり泣きが聞こえると

    いわれていて、不気味なところだったらしい。
    まず林彪が指揮する第一軍団の先鋒隊が大渡河に達した。対岸には四川省

    独裁者の一人の劉将軍の一個連隊だけがいた。ここでエドガー・スノー

    「運命の力」と書いた「助け舟」を見つける。


    劉将軍は紅軍が迫ってきていることはわかっていたが、援軍もこちらに

    進軍していたので、一個連隊で充分だと思ったし、さらに紅軍が到着する

    には幾日もかかると判断した。
    舟は3隻。すべて北側につながれていれば、劉将軍の判断は正しかった

    のに、 なんと1隻だけが南側にあった。

    劉将軍は安順場生まれの夫人とともに、親戚や友人をたずねて宴を共にする

    ために南側に渡っていたからだった。劉将軍は油断した。


    林彪の一団は小さな戦闘をへて、なんとかこの舟で無事に渡りきることが

    できた。そこへ敵の爆撃機が攻撃してきて、毛沢東の主力をふくむ残りは

    渡れないまま。はらはらするシーンだ。しかし、林彪の先鋒隊だけでも

    北側に渡れたことは、その後の展開に大きく貢献することになる。


    このあたりから石達開も地の下でおちおち眠っていられなくなったのでは。

 

濾定橋―安順場から約225キロはなれた鉄の鎖でできた吊り橋。林彪の先鋒隊以外は

    決死隊のおかげでこの橋で大渡河を渡った。この橋を渡れなかったならば、

    どうなっていたかな。終戦も解放も建国もすべて後ろにずれこんだだろう。

    彭徳懐は、兵たちにこの橋を渡れなかったら死しかないという内容を

    弾丸のような口調で説明したらしい。

    敵側がこの橋を前もって爆破しておかなかった理由は、スノーが著作で

    説明している。

「だが四川人は数少ない彼らの橋には感傷的であった。再建するのは容易ではなく、また莫大な費用がかかった。濾定橋の『架設には十八省の富が捧げられた』といわれていた。それにこの鎖だけの橋を紅軍が気狂い沙汰にも渡ろうなどとは誰が考えたであろう。だが、まさにそれを彼らはやりとげたのであった」

 

    石達開も地の下で感涙にむせぶ?

チベット人―このころも漢民族にとってあまりいい印象はないようだ。  

ファン族―中国は少数民族といい関係を築かないとやっていけない国だ。
張国燾―この人の容貌から受ける印象は国民党的な感じがする。なぜこの人が

    共産党の創立メンバーだったのか不思議だ。

エチオピアエチオピアの歴史をほとんど知らないことに気づく。朱徳はラジオで

      世界情勢に通じていた。

 

何応欽・梅津秘密協定

日本軍の綏遠(すいえん)省侵略ー

東京・ベルリン・南京防共協定ー

張群ー

ジョージ・ヘイテムー

満州事変ー


以前「ルビコン河を渡る」という言葉が文章に出てきて意味がわからず調べたことがある。「どこの河?」っていう感じ。欧米では頻繁に使われる格言なのかな。

ルビコン河を渡る」が定着しているのなら、「濾定橋を渡る」も使いたい。当時の日本にとってはいい話しではないけれど。


個人的には「孟母三遷」「四面楚歌」などと同じように「安順場の一隻の舟」「濾定橋を渡る」「石達開の感涙」を格言にしたいと思っている。

 

続いて第10巻からは現代に近づいてくる。1945年8月については、日本軍は武装解除されて、はい、それでおしまいではない。国民党軍との関係でややこしい展開になっていく。