Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

統一戦線にむけて共産党と国民党との間の駆け引き 『偉大なる道』第10巻①ー5

 朱将軍、毛沢東と彼らの幕僚たちは、延安でほとんど絶え間なしに会議をひらいた。1937年2月、周恩来を長とする共産党代表団が南京に出むいていたときだが、朱と毛は、それぞれ共産党と紅軍を代表して、南京で開会中の国民党の国民党中央委員会に長文の電報をおくった。そして民族統一戦線の結成をうったえ、国民党が国内の民主的改革をおこなうなら、大幅な譲歩をしてもいいとよびかけた。もし統一戦線がつくられ、紅軍が国民党軍と同じ待遇をあたえられるなら、紅軍は名前を変えて、中央軍事委員会の全般的指揮の下にはいる、という。また、国内のあらゆる人材を抗日闘争に引きこむため、地主所有地の没収を中止し、西北のソビエト地区を特別行政区――共産主義者が管理するが中央政府の指揮下におかれる――に変えることも申し出た。そしてこの地区では孫逸仙の綱領と政策を完全に実行するつもりだ、と声明した。

 

 共産党と紅軍は、これらの譲歩と引きかえに、国民党を督促して、大衆の市民的自由を回復させ、命をかけて戦う値打ちのあるものを、大衆にあたえさせようとした。彼らはまた、すべての政治犯を釈放し、抗日闘争のための組織と武装の権利を人民にあたえなければならないと主張した。

 

 しかし、統一戦線が具体的な形をとりはじめたのは、数ヵ月たってからだった。国民党は、共産主義者の申し出を降伏と解釈し、この機会をうまく利用して、紅軍をつぶそうと企てた。そして紅軍の七個師団のうち、四個師団を解体して、のこりの三個師団を国民党将校を入れた新たな軍隊に再編成することを要求した。共産主義者は、彼らの軍隊の解体には絶対に反対し、そのかわり、国民党軍と紅軍との間で、将校を友情の証として交換することを提案した――この提案におそれあわてた国民党は、ひどく熱い焼芋をつかんだ時のように、あわててこの問題を取りさげた。