Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

日本軍の敵は国民党軍ではなくて紅軍 『偉大なる道』第10巻②ー10

 どろどろの雪どけの中を行軍し、民衆大会や共産党分会などで演説したりしながら、朱将軍はついに部隊を山西省南部の洪洞地方に誘導し、ここで一部は休息と学習につとめ、一部は日本が占拠した太原府の西方地区に進出した。まもなく朱将軍の司令部のまわりの麦畑は、背の高い頑丈な農民義勇隊の訓練で、朝から晩までにぎやかになった。


 ある晩、朱徳将軍の司令部にすわりこんでアメリカのコーヒーをすすりながら、よもやま話にふけったことがあった。私が臨潼の衛立煌将軍のところまでの小旅行から帰ってきたところだったが、ニュージーランドのジャーナリストのジェイムス・バートラムとアメリ海兵隊の情報将校エヴァンス・F・カールソンが司令部に到着していることがわかった。コーヒーを持ってきたのはカールソンだった。カールソンはエナメルコップのコーヒーをすすりながら、私たちの話をきいていた。私は臨潼で国民党の将軍と会談中に空襲にあったときのことを話した。

 

 「私たちが練兵場を走って洞窟に達したとき、敵機は二回目にもどってきました」私がいうと、朱将軍の参謀の一人が慇懃に訊ねた。

 

 「誰が一番に洞窟につきましたか? そして誰が最後にそこを出ましたか? それは多分衛将軍だったでしょう?」

 

 「とにかく衛将軍の参謀達はあなたがたより大分スタイルがいい」私はいった。「あの人たちは、立派な毛織のカーキ色の制服、鏡のように磨きあげた深い皮の長靴、しゃれた将校用の剣帯、ぴかぴかする階級章をつけています。毛皮の帽子と毛皮の襟をつけた冬用外套も着ています」

 

 「連中はたしかにわれわれより大分スタイルがいい。だがわれわれの方がはるかに重要だ」朱徳は笑いながらいった。「日本軍はわれわれの方にいっそう注目している。彼らは最近も、紅軍に関する情報や、紅軍の出した文書類を提供するものに、褒美をやるという公告を、太原府その他の城壁に貼りまわしたばかりだ。彼らは、われわれをせん滅するために中国に乗り込んだと公言している」