Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

八路軍を恐れる日本軍と国民党反動たち 『偉大なる道』第10巻③ー3

 八路軍も大きな損傷をこうむったが、敵の損害は3万4千であった。敵の捕虜――その大部分は傀儡中国人だった――は2094人で、その他に徴兵されていた満州兵1366人が、日本の兵器をもったまま八路軍に入ってきた。

 

 八路軍が開戦当時もっていた貧弱な装備を考えると、捕獲した戦利品は目を見張るものであった。具体的には、小銃6387丁、軽機関銃171丁、重機関銃84丁、野砲72門、臼砲25門、乗用車190台、トラック847台、ラジオセット4個、拡声器6個、電話セット19台、観測鏡9個であった。なおその他に5箱の毒ガスがあった。つまり日本軍は八路軍をせん滅するためなら、どんな手段でも許されると考えていたとなる。

 

 紅軍はまた、山西北部の飛行場で敵機24機を破壊した――これに対して蒋介石は2万米ドルの褒賞金を出した。その他戦車5台、装甲車5台、乗用車とトラック901台を破壊した。なお1937年末、私が朱将軍の司令部にいた当時すでに、数千人の八路軍部隊が、捕獲した日本軍の外套を着ていた。

 

 八路軍の力が大きくなり、その影響力が華北全体に拡がるにつれて、国民党反動たちの中の恐怖心も増大した。八路軍が敵の手から解放した地域で改革を実施したというニュースが漢口に伝わると、以前からあった「共産主義の脅威」という叫びが聞かれだした。北部と北西部の各解放区では、18歳以上のすべての男女に完全な選挙権が与えられた。彼らは元の国民党の役人に代わる町村の行政機関を選挙した。国民党の役人たちは、日本軍がくると逃亡するか、あるいはこれに加担して傀儡地方政府を動かしていたものである。こうした反逆者の多くが、大地主だったから、解放区で、農民が彼らの土地を没収して分配した。地主の中には、逃亡したが反逆者にならなかったものもいた。こういう地主の土地は没収はされなかったが、小作する農民は敵から逃げ出したものに地代を払う気持ちになれなかった。

 

 そうした情勢を考慮しながら、朱将軍はかたっている。

 

中央政府は、人民の生活状態を改善するため、あらゆる努力をはらい、それによって人民の具体的支持をえて、人力を動員するようにしなければならない。政府はまた、愛国的組織や活動を後援し、大衆を直接間接戦争に参加するよう組織しなければならない」