Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

内戦と対日降伏の危機の時期 『偉大なる道』第10巻③ー5

 朱将軍は、1939年7月18日延安の新聞で発表した論文の中で、国民党反動勢力の増大と、二重の危険――内戦と対日降伏についてのべている。

 

 「1938年秋、漢口が日本軍の手に落ちて以後、われわれは国民党内の有力な一派が、民族統一戦線をやぶり内戦を再開することによって、降伏の道を準備していることを知った。われわれは、山西省東南部、河北省南部、そして山東省西部の国民党軍が、八路軍を敵として彼らのいわゆる『連省共同防衛』協定を結んだ証拠文書をもっている。そのうちの鹿鐘麟将軍のひきいる部隊は、われわれが敵から解放した地区を接収するために蒋介石が派遣した部隊だった。この軍はわれわれの解放区に入ってきて、あらゆる地方行政機関を解体し、1937年日本軍がきたとき逃亡した、もとの封建的な役人たちをそのあとにすえた。また地方の人民部隊を包囲し、武装解除し解体して、『保安隊』をおいたが、その仕事は、人民の抗日と民主主義活動を抑圧することだった。われわれが導入した小作料引下げや、高利の禁止などの改革は、非合法とされ、新旧の重税が課された。村民はふたたびギャングたちのために強制徴兵され、鹿将軍に3千元献納するものだけが徴兵をまぬがれる状態だった」

 

 こうした動きは、重慶政府支配下のあらゆる地域でしだいにひどくなった人民活動の弾圧と並行していた。国民党が直接管理するもの以外あらゆる出版や組織は、弾圧され、政治犯の集中拘置所が設けられた。そして新しい産業合作社さえ、そこで働く人びとの共同所有であるという理由で、破壊的なものと見なされた。ある国民党政治家は、華北共産主義者が合作社の網をはりめぐらしているから、合作社は共産主義制度にちがいないと私にいった。そして、こういう制度は戦争中は役に立つかも知れないが、勤労者が独立心をもって以前の仕事場に戻らないようになるから危険だ、と述べた。