Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

蒋介石による揚子江虐殺事件の真相 『偉大なる道』第10巻③ー11

 1千人だけが血路をひらいて揚子江をわたり本隊と合流した。約4千人の負傷兵は、捕虜にされ、拘置所につながれた。その大部分は病気と虐待のために、そこで死んだ。婦人の捕虜は国民党将校のあいだで分配され、獣のように扱われた。米国が参戦した後、戦時情報局(OWI)の職員は、中国の東部でこれらの婦人の何人かを見たし、また新四軍拘置所で生き残った何百人かの人びとにも会った。戦時情報局のある職員は拘置所から脱走したふたりに会った。ひとりは葉挺将軍の兄弟で、片足に拷問による重い障害がのこり引きずっていた。

 

 蒋介石は、この揚子江虐殺を秘密にしようとしたが、かくしきれないので、ついに、命令にそむいた新四軍に対して「懲罰行動」をとったと声明した。したがって新四軍は法律上の保護を奪われ解体された、と彼はいう。国民党の最も封建的な将軍の一人である湯恩伯将軍が、「反徒の残党」の掃討を命じられた。

 

 この虐殺事件の直後、売国南京政府は、その傀儡部隊に、次のような命令を放送した。

 

 「新四軍絶滅工作が開始された。仕上げをするのは、われわれの仕事である」

 

 新四軍はいまや陳毅将軍の指揮下におかれたが、国民党と日本の傀儡政府の軍隊を敵にして、一時はせん滅されるかと思われた。しかしそれは成功しなかった。いかに腐敗しているとはいえ、国民党の兵隊たちは、日本軍でなく同胞をやっつけろといわれて、困惑し士気沮喪したからであった。

 

 揚子江悲劇の真相を検閲でかくしきれなくなったとき、重慶最高司令部は、新四軍が南京、上海、杭州の三角地帯を占領し、北は山東までの海岸一帯に勢力をはる陰謀を企てていた、と非難した。

 

 この奇怪な声明は、南京、上海、杭州の三角地帯が、揚子江流域の日本の本拠地であることを見落としている。新四軍が実際、この地帯の占領を「企てていた」とすると、強力な日本軍と売国南京政府の破壊を企てていたことになる。また全中国の海岸も日本軍に抑えられていた。