Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

『偉大なる道』第10巻「歴史との出あい」を読んで

以前ビルマインパール作戦について調べていたとき、戦争において将兵の士気を高めるには後方からの補給が大事だということを知った。この作戦はビルマを舞台にした日本とイギリスとの戦いだが、イギリス軍は日本軍は補給が続かないと判断した。

 

一方、イギリス軍の将兵は食料などの補給だけでなく、もし負傷した場合は後方の病院施設で充分な看護を受けることができることが保障されていたらしい。これで士気を保っていたと読んだことがある。

 

抗日戦においても、朱徳たちの日本軍に対する戦略は、持久戦にもっていき、やがて日本軍側の補給が切れるのを待つというものだった。

 

補給の遅れと不安定さが当時の日本軍のアキレス腱だったのかな。

 

気になるキーワード

 

西安事件

紅軍にとって「えー、張学良がそんなことしたの?」ではなくて、スメドレーも断定的に書いていないけれど、紅軍をふくめたなんらかの計画のもとにおこなわれたと個人的には読みとれた。

国内だけでなく国際事件になり、「日本の陰謀」ともいわれたりして、当時情報が錯綜したとある。

こういうことは知らなかった。

 

張学良―

元匪賊から軍閥にのし上がった父親を日本軍に裏切られて殺されている。この事実は大きい。かんたんに水に流せることではない。戦後あまり多くを語らず台湾で亡くなったが、誠実で話しのわかるリベラルな男性という印象がある。

 

民族統一戦線の結成―

紅軍は、侵略してくる日本軍と戦うために国民党軍にかなり譲歩した。

 

延安―

紅軍の根拠地だが、にわかに脚光を浴びて、全国から志のある青年や職人などがぞくぞく流れこんできた。毛沢東の最後の夫人となる江青もそのなかにいた。

 

盧溝橋事件―

中国では七七事変と呼ばれる? 1937年7月7月に日本軍は北京付近の盧溝橋で攻撃を開始。このあたりややこしくて日本軍は当然言い分を持っている。戦争の発端はパターンがあるように感じる。とにかくこの日を日中戦争のはじまりととらえるらしい。

この本では盧溝橋事件、七七事変という名称は使われていない。

第二次世界大戦中のインパール作戦で有名な牟田口廉也もこの事件にかかわっている。

延安でもこの事件から戦闘態勢に入り、蒋介石もしぶしぶ日本軍への抵抗を国民に訴えた。

話はそれるが、新型コロナの最初の発生場所に関する錯綜した情報と似ているように思う。

 

日本軍による南京陥落―

日本軍は1937年8月に揚子江流域で戦端をひらき上海を占領し、その後12月南京を占領。その際多くの市民や捕虜が虐殺された。これが現在も語られる南京事件で、スメドレーはその数は20万人と表現している。

スメドレーは、まだ核とした情報をつかんでいないからだろうか、事実をかんたんに語ることで終わっている。現在もときおり話題になる南京事件なので、「日本軍はこんなひどいことをした」というような感情的な語りではないところが意外だった。それよりも紅軍や国民党軍側がどう動いたかに重点をおいている。

 

戦中発表された、南京事件にかかわった日本軍を扱った小説『生きている兵隊』を描いた作家石川達三は、南京陥落直後に中央公論社の特派員として南京に入っている。発表当時は伏字だらけだったが、現在はすべて読めるのだが、文体が今の私には読みにくくて、読んでいない。

 

陳毅―

延安から遠くなはれた揚子江流域で新四軍を結成した指揮官のひとり。民族統一戦線を結成したので、裏切って攻撃してくる国民党軍を応射できない。よく殺されずに生き延びたなと思う。全滅しなかったのが不思議だ。建国後は外務大臣などをやった人。

その後文化大革命のときに、紅衛兵たちが陳毅の自宅まで侵入して攻撃しようとしたとき、周恩来が前に立ちはだかって「俺を倒してから入れ」というような内容のことを語り、陳毅を守ったというエピソードを読んだことがある。

毛沢東も自分より早くに亡くなった陳毅の葬儀に列席し、夫人に「陳毅はえらかった」ということばをかけたと読んだことがある。

エドガー・スノーは「真の英雄」と表現。

 

汪精衛―

日本軍との良好な関係を維持していて、そこが蒋介石と違う。蒋介石と汪精衛の立場の違いがわかったことで見識がひろがった。

さほど重要人物のように思えないのに日本の教科書にのっていた理由がわかった。

 

百団出撃―

国土を取り返すためにここまでしたということ。これに立ち向かう日本兵の正義はどこにあるのか。

葉挺将軍―

飛行機事故で亡くなったが、真の英雄のひとりだと思う。建国の瞬間に立ち会えなかったことはほんとに残念。