Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

軍事だけでなく生活の各方面で指導する朱徳 『偉大なる道』第11巻①ー2

 1941年7月に日本の攻勢が始まった。それから1942年末までの1年半の戦闘で、八路軍と新四軍は82,456人の損傷をこうむり、そのうち30.789人が戦死であった。一般人や地方パルチザンの死傷は計算できないが、はるかに大きかったことはたしかである。

 

 この当時の2年間ぐらいの延安の新聞を見ると、朱徳将軍は各方面に出動したり、論文を書いたり、講演したり、深夜までろうそくをつけて仕事をしていたり、彼の出身である農民のように、毎朝早く畑で働いたりしていたことがわかる。

 

 この当時延安で発行された新聞やパンフレットや本に、彼の書いたものがたくさん掲載されているが、演説や会談の記事だけでも集めると数巻に達するほどである。合作社、婦人、労働組合、青年などの会議や、兵士・指揮官会議などに屈強な姿をあらわして演説している。さらに農村再建のための農民の集まり、労働英雄の会議、戦死者追悼会、日本人捕虜の教室、産業展示会や戦利品展示会などでも演説している。

 

 民族革命闘争の戦略戦術を決める共産党大会に出たその足で、辺区婦人連合会の生産会議などの集まりに出席した。1941年秋のそういう集まりでは、ちょうどラガーディア市長がニューヨークの主婦たちにスパゲッティの料理法や育児法を話しかけるような感じで話している。

 

 「この地方では塩がとれるから、冬のための野菜をたくさん貯えることができる。四川省でも、いつも野菜を漬けている。それはこんなふうにやる……

 

 「さて、この地方の主作の大豆の話をしよう。大豆はいろんな風に使われる――なま野菜としても、豆腐や醤油にも、また冬に使うため乾した大豆として、東北の家庭では、冬に使うため少なくとも大樽一ぱいの大豆を塩づけにする。別に一樽の醤油もつくる。その作り方は……」

 

 婦人たちと穀物のことを話しあったあと、次に豚、羊、山羊、牛馬、兎や蜜蜂の飼育の話しにうつる。「どの家畜も、骨、肉、蹄、皮と何から何まで役に立つ。だが、養蜂も辺区の主な産業のひとつにしなければならない」彼はそういってから、育児の話に進むのであった。

 

 「赤ん坊が死んだといって、戸口にすわって泣いている女の人を何度か見かけた。どうしてそんなことになるんだろうか? 理由のひとつは陝西北部の人たちが衛生に注意しないからだ。この点ではわが国の人たちは、長いあいだほとんど進歩していない。衛生状態が悪いためたくさんの豚が死んでしまうことだってある。だが、赤ん坊が死ぬということは、はるかに大きな損失だ。だから生産運動の宣伝は、農場と家庭と両方の衛生状態をよくすることと、いっしょにやってゆかなければならない。いつも清潔ということを強くいわなければならない。いまは合作社で安くていい石鹸が作られている。……赤ん坊は毎日洗ってやって、子供たちには毎日の清潔の習慣をつけなければならない。わが軍の兵隊たちは、どんな苦しい状況の時でも、清潔に心がけているし、また毎晩足を洗うことにしている。兵隊にできるんだから、銃後の人びとは、もっともっとできるはずだ……」