Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

日本の軍隊内部の変化 『偉大なる道』第11巻①ー6

 この朱将軍の1943年の年次報告のうち、とくに目立つのは、過去5年におこった日本軍隊内部の変化についてのべている部分である。1942年半ばごろには、日本兵の降伏や脱走がきわめて多くなっていた。

 

 捕虜になった彼らは鎖でつながれることはなかったし、拘置所に入れられもしなかった。中国軍の制服をあたえられ、教室で、抗日軍隊と似たような課題を学習させられた。ただ、日本の封建的な社会構造、日本労働者階級の歴史、そして科学的社会主義の原理には特に重点がおかれた。彼らのうち延安の日本工農学校の多くの卒業者は、後に特別の政治宣伝員として前線で八路軍といっしょにはたらいた。1944年末までに、彼らのうち30人が行動中に戦死した。

 

 朱将軍の1943年の年次報告では、日本反ファシスト組織の地下活動についても、かなりのべている。そのひとつは日本人民解放連盟だった。朱徳は、日本共産党創立者のひとりであり日本軍国主義に対する地下運動の古強者であった岡野進(野坂鉄)にはふれていない。

 

 1943年ごろには、日本人民解放連盟はいくつかの八路軍部隊と連絡をとりあっていた。そしてたえず日本軍の計画や行動を知らせた。1944年には、岡野が毛沢東朱徳の相談役として、日本人捕虜の教育工作を指導するため延安にきた。

 

 朱将軍の1943年の報告やその他彼の書いたものをみると、国際問題に対する中国共産主義者の態度がはっきりと出ている。国民党はファシズムを「中国にもっとも適した」社会制度であると以前から主張しているが、これに反して、共産主義者ファシズムの敵であった。彼らはファシズムを独占資本主義の最後の段階――増大する人民の力に直面した資本家階級があらゆる議会制度を破壊し、公然たる独裁を樹立する状態、とみた。ドイツとイタリアでは、反共という煙幕の後ろでそれがおこなわれ、中国では日本と国民党によってすぐにつくり上げられた。