Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

予期されていた太平洋戦争、予想されていた日本側の初期の勝利 『偉大なる道』第11巻①ー7

 そうした事情や過去の歴史的理由からみて、朱将軍もほかの共産主義者たちも、この大戦は民主主義のための戦いであるという西欧列強の宣伝を、そのままのみこみはしなかった。ともかく、彼らは1940年まで日本に戦略資材を売っていたではないか。しかし最後には、好むと好まざるにかかわらず、西欧列強はファシズムと戦うことを強いられるだろうと朱将軍はずっと以前から確信していた。

 

 彼はまた、この反ファシズム戦争の過程で、連合諸国の人民は政府にせまって、民主主義的宣伝の少なくとも一部だけでも実行させるだろうということ、そしてまた枢軸ブロックの敗北は、世界各地のファシズムに致命傷を与えるだろうということ、を信じていた。

 

 朱将軍もほかの共産主義者たちも、そうした見方をかくそうとはしなかった。国民党は、たえず「赤」や「共匪」という言葉をいいたて、共産主義者たちが、戦争を利用して勢力をのばし、戦後に権力を確立しようとねらっている、とののしった。

 

 たしかに共産主義者は、その力と影響をのばすねらいをもっていることはたしかだ。しかし、その点では、彼らだけがそうだったのではない。国民党も、全国的に独裁権をうちたてる目的で、戦争を利用してあらゆる反対者をやっつけようとしていた。そのために、共産側には責任がない戦術をとった。というのは国民党軍の指揮官以下の部隊全体が、重慶最高司令部の黙認と、――朱徳の信ずるところでは――支持のもとに、日本軍に寝がえりしはじめた。真珠湾以前でさえ、12人の国民党軍将軍が部隊をつれて日本側に投じた。1942年にはさらに15人が寝がえった。朱徳将軍は、それは華北に入って日本軍といっしょに解放区をたたく目的をもっておこなわれていることを証明するのに、数えきれないぐらいたくさんの証拠をにぎっていた。

 

 朱徳将軍の参謀長の葉剣英は、国民党部隊の寝がえりの原因を、重慶政府の腐敗、人民に対する民主主義の否定、日本軍の勝利による国民党軍の士気の低下、にあると説明したことがある。国民党の兵隊たちは、政治教育は与えられず、八路軍と新四軍は匪賊であり、中国にとって日本以上の敵だときかされていた。無知文盲で、飢えと虐待にしいたげられた国民党の兵隊たちは、命令にしたがって射つことだけを教えられていたからである。

 

 八路軍や新四軍も、あれほど高い政治的訓練がなかったならば、真珠湾につづく最初の2年間の日本の圧倒的勝利に、士気沮喪しただろう。だが、共産主義者たちは、太平洋戦争を予期していたし、また日本がアジアの戦線に近いことや西欧諸国が長年日本の軍事力の強化を援助したことから考えて、日本の初期の勝利さえ予想していた。だから中国の共産主義者は、枢軸の勝利をみても、士気沮喪しなかったし、ひとりとして日本側に寝がえったという記録はない。