Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

延安にむかえた連合国避難者たち 『偉大なる道』第11巻①ー10

 すでに何人かの連合国避難者が、北京から西部の丘陵地帯の西山に逃げてきていた。八路軍は彼らを迎えて、何週間もかかって華北を横断し、河北山岳基地や延安まで護送した。フランス人2人、ナショナル・シティ・バンクの北京副支配人のアメリカ人1人、オランダ人実業家1人、そして3人のイギリス人教育家だった。

 

 このイギリス人のひとりである燕京大学物理学部長のウィリアム・バンド教授は夫人といっしょに2年間も解放区にとどまり、おもに山西・察哈爾・河北山岳基地にいて、大学で物理学を教え、また最初の河北自然科学会議に参加した。同じく燕京大学物理学教授の英国人マイケル・リンゼイも戦争が終わるまで教師として延安にとどまった。彼は延安ラジオ大学と放送局をつくったが、華北のニュースは、長いあいだ、この放送局から中国各地や西欧に伝えられた。

 

 フランス人避難者のひとりはジョルジュ・ウルマン中尉で、後に欧州で自由フランス軍に参加したが、八路軍のことを次のように書いている。

 

 「フランス革命のはじめの軍隊のように貧弱で、何ひとつもたず、外部からの援助もなしに、八路軍は侵略者を撃退することと、民衆に自由を教えるという二重の任務をはたしている」

 

 延安についた避難者たちは、いくつかの会合に出席して朱徳将軍その他の指導者の話をきいた。そのひとつ、中日戦争5周年記念の7月7日の集まりでは、朱将軍は次のようにのべた。

 

 「この記念日に際し、八路軍と新四軍の57万の戦士を代表して、私は中国の全人民と全世界の反ファシストの戦士に、熱い民族解放のあいさつをおくる。われわれは、民族の独立と人類の正義と世界平和の神聖な大義のため、犠牲になった中国、ソビエト同盟、イギリス、アメリカその他の国々の最良の子弟たちに対して、心からの弔意を表現したい」