Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

従軍中に亡くなった外国の友を追悼 『偉大なる道』第11巻①ー12

 1942年が暮れるころ、朱将軍や同志たちは、あらゆる機会をとらえて、全世界の人々が彼らの味方であることを説き、人々をはげまし力づけた。11月13日は八路軍従軍中に殉職したカナダ人の医師ノーマン・ビーツン博士の3周年記念日だったが、この日朱将軍は、カナダ人とアメリカ人が長年にわたって中国の抵抗戦争を助けてくれた事実を、感激をこめてかたった。


 12月30日にはD・N・コトニス博士を記念して演説した。博士はインドの医師で、一年前にやはり八路軍従軍中に死んだ。インドの長い独立闘争の歴史を回顧しながら朱将軍はのべた。

 

 「コトニス博士は、インド人民の解放が中国人民の解放闘争と結びついていることを理解していた。だから彼は、中国の抵抗戦争を彼自身のものと考えた。彼は、中国のため生命をささげた2番目の外国の友だ」

 

 しかし、この当時でも悩みや悲しみがすべてではなかった、ということは、朱将軍が1942年の半ばごろ、自給生産運動の偉大な成果をたたえてつくった、次の詩などにもうかがえる。


 七七記念日の今日、

 老友互いに相訪ねる。

 戦争はたけなわだが、

 今日一日の休息は貴い。

 軽車は五人の老友をのせて

 延安をはなれる。

 三十里村に着くころは、

 暑さにものうくなる。

 

 風は遠くの森にそよぎ、

 白雲は青山なみにただよい、

 緑の葉かげにうぐいすが巣くう。

 はるか万華山にのぼって、

 眼下に丘陸の海をながめるとき、

 森は涼しく日かげをつくる。

 ここには虎や豹がひそむとつたえる。

 

 一年ほど前には荒涼として、

 寝るに廃窟さえもなかった。

 いま、新しい市場町が栄え、

 穴居が岡の腹にうがたれ群がる。

 下の平野には良穀がみのり

 水田には若い稲がかがやく。

 

 荒地は花さいたのだ。

 戦士は暖衣し、飽食している。

 牧場では肥えた羊や家畜が草をはみ、

 馬欄でよい紙が作られる。

 

 タオ・シー・クーをめぐり流れる、

 清き流れのほとりにいこい、

 老友らは心ゆくまで楽しみ、

 心身ともによみがえる。

 あたたかな微風は面をなで、

 人は華南の家を思い出す。

 夕涼の中を徘徊しつつ詩を作り、

 梢にかかる月をながめる。