Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

英米、日本の宣伝に対抗して不平等条約撤廃へ 『偉大なる道』第11巻②ー1

 数世代にわたってアジアの民族を支配してきた西欧列強は、太平洋戦争の最初の2年間というもの、西欧帝国主義排除という日本の強力な宣伝を信じた南太平洋の諸民族が、日本軍を解放者として歓迎していたときは、にが虫をかみつぶした思いであった。イギリスが118年もおさえていたシンガポールは、真珠湾の2ヵ月後に陥落した。3月にはインドネシアのオランダ勢力が潰滅した。1942年初夏には、ビルマの連合国軍は、ビルマ人にまわりの森を焼きたてられながら、さんざんな状態で退却した。

 

 第一次世界大戦で英国の約束があてにならないことを経験したインドでは、反抗する数千人の愛国者で監獄がいっぱいになり、そしてシンガポールからスバス・チャンドラ・ボースの指揮する強力なる親日運動がひろまっていた。

 

 ジョセフ・スティルウェル将軍が指揮する中国人部隊は、イギリスと長い交渉をつづけた結果、ビルマに入ることを承認された。イギリスは、ビルマは1885年満州朝から奪いとったものなので、中国がふたたびここを占領してそのまま腰をすえることをおそれた。少なくともビルマ人に「理想」をふきこむことはあり得ることであった。しかしビルマ人のうち日本側についたものは、中国人をイギリス帝国主義の肩をもつ反逆者と考えた。

 

 1942年の末には、オランダのウィルヘルミナ女王――オランダ領東インドに膨大な資産をもつ世界で最も金持ちの女性のひとりであったーーが、インドネシア人民に戦後のオランダ連邦に参加させることを約束して、「国内事項」の処理は彼らにまかせて、連邦諸国との「相互援助」の義務だけをおわせるということにした。

 

 1943年1月はじめには、英米両国政府も、日本の宣伝に対抗する手段をとった。1世紀にわたる中国とのあいだの不平等条約を撤廃して、新たに平等な条約を結び、通商条約その他は戦後に取り決めることを約束した。