Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

蒋介石にきらわれ始めたスティルウェル将軍 『偉大なる道』第11巻②ー3

 アメリカの最高軍事代表で蒋介石の参謀長だったJ・W・スティルウェル将軍は個人的な考えを日記につけていた。彼は重慶をあっさりと「肥えだめ」とよび、蒋介石を「貪欲で、偏屈で、恩知らずの、ちっぽけなガラガラ蛇」で、レンド・リース(1941年3月のアメリカ軍需品貸与法)物資を、対日戦争に使わずに内戦のためにため込むのが彼の目的だ、と書いている。

 

 日がたつにつれ、スティルウェルは、蒋総統やその他の国民党反動たちにとって、わき腹のとげになってきた。「気むずかしやのジョウ」は反動と腐敗の蒋政権にとっては不要のものであった。彼は中国の人民と兵隊にあわれみと尊敬の念をいだいていたが、後に『スティルウェル文集』として出版した日記の中で、蒋総統や何応欽軍政部長や国民党将校たちのことに触れた部分は、辛辣をきわめた。

 

 スティルウェルはひとつの目標をもっていた。それは、中国の抗戦をつづけさせること、軍隊を改革して十分それに耐えられるようにすること、内戦によって国が二つに分かれるのを阻止することであった。この見地からスティルウェルは、延安辺区を封鎖している20万の軍隊を引き上げて、対日戦に使うように、何度も蒋総統に要求した。そういう申し出に、総統は激怒にかられるのだった。ところで、中国で最も立派な物資の供給と装備を与えられていたこれらの封鎖部隊は、1938年春の台児荘の戦闘以来、一度も戦闘していなかった。

 

 国民党の役人や軍人、銀行家や地主たちは、戦争を利用して、アメリカの銀行にあずけた個人預金をふやすのに一生懸命のようであった。これに反して解放区の人民と軍隊は、日本軍と傀儡部隊を相手にたえず戦っていたし、間をおいて襲いかかる国民党軍も撃退していた。