Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

スティルウェル将軍、蒋介石の要請で本国へ召喚 『偉大なる道』第11巻③ー3

 延安で朱徳将軍と会談した外国人記者たちは、彼のことを、言葉数はすくなく、考えは軍人風に精密で、連合国の反撃を援助する計画について率直に話してくれた、と書いている。

 

 延安は、アメリカその他連合国の軍事視察団を歓迎し、八路軍と新四軍、抗日戦基地、華北中の抗日地下情報網などは、みなさんにあらゆる便宜を提供する、と彼はかたった。この情報網は、日本占領機構のあらゆる拠点にはりめぐらされている、と彼は言明した。

 

 また朱将軍は希望を1つのべたが、ついに実現されることはなかった。それは連合国から「特定のかんたんな軍事物資」、つまり小銃、軽自動火器、歩兵砲、爆薬、弾丸などを供給してもらうことで、これらのものが供給されて、なお時折、特定の作戦に航空機の援助が得られれば、彼の軍は戦略上の要地を奪回し、敵の生命線的な交通路をすべて麻痺させることができる。八路軍と新四軍は、独立して戦うにしても、中国に上陸する連合軍の直属部隊として戦うにしても、連合軍のために大いに貢献できるはずだ、と彼はつけ加えた。

 

 彼は、中国に連合軍最高司令機関を設けることにも、まったく反対ではないこともいった。これは、中国軍を統一し内戦を阻止するための一策として、スティルウェル将軍とルーズベルト大統領がいいだしたものであった。欧州上陸と最後のドイツ進撃では、イギリスはアメリカ人の総司令官の下に立つことを納得していた。朱将軍が考えたのは、連合軍最高司令機関をおくことは間接的に統一の足場を固めることになる、ということであった。「なぜならば、民主主義を基礎とする民族統一は、中国にとって欠くことできないものであるし、そしてまたわが軍は、連合国間の連帯の精神にもえているからである」また彼は、八路軍と新四軍を、そのころ連合軍最高司令官に見立てられていたスティルウェル将軍の指揮下に喜んで入れるつもりである、とつけ加えた。

 

 しかし、朱将軍の申し出は効を奏さなかった。その年の秋アメリカ軍事視察団の事務所が延安につくられたが、全中国軍を連合軍最高司令官の指揮下に入れるという問題では、蒋総統が反対して、スティルウェルは自分を「奴隷」にしようとしていると非難しはじめた。そして10月には、スティルウェルは蒋の要請によって本国によびもどされたうえ、中国問題は「ダイナマイト」だからと、陸軍省から公の発言を一切封じられてしまった。