Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

ルーズベルト大統領死去の影響 『偉大なる道』第12巻①ー2

 サンフランシスコ会議の直前、4月12日のルーズベルト死去のニュースは、目ざめかけた希望に、暗い影を投げた。毛沢東朱徳は、トルーマン大統領とルーズベルトの遺族に弔電を送り、解放区一帯では半旗をかかげた。延安の新聞はルーズベルトの死について、「この偉大な反ファシスト政治家、抵抗戦争を戦う中国のこの良き友人、その死を中国全国民は心から哀悼する」と書いた。また中国共産党の機関誌『解放日報』は次のような論説をのせた。

 

ルーズベルトは、アメリカの安否が、反ファシスト戦における勝利、および戦後における平和と民主主義と、しっかり結びつくものであること、そしてそれはソビエト同盟との協力と不可分であることをはっきり理解していた……ルーズベルトは、4つの自由の宣言と大西洋憲章、またダンバートンオークスの会議とヤルタ会議における彼の指導によって、外交史上にその足跡をのこした……彼は歴史の流れを変えた……われわれは彼のあとをつぐ政治家が、彼の明確な政策にしたがって、彼の遺志――すなわちファシズムの根絶、ならびに平和と民主主義を基礎とする世界の建設――を実現する方向にアメリカ人民を指導していくことを希望するものだ」

 

ルーズベルトの死は、反ファシスト戦を反共戦に転換しようとする世界の反動たちの希望を復活させた。当時の日本の新聞は、またしても中国における反共の必要をさけび、このように書いた。

 

「共産匪」は浙江省から満洲まで全中国の沿岸一帯に交通線を維持しており、その農民自衛隊は「皇軍と南京軍による平和と秩序の維持を妨害している」

 

「これらの共匪や農民強盗らは、米、綿花、薪材、石炭など主要物資の奥地からの搬出をさまたげ、平和地区の経済をかく乱している。わが駐屯軍は、南京綏靖軍および保安隊とともに合同特殊部隊を編成して、平和、生産、思想浄化の三大政策を実行するため、日夜共匪に対する懲罰行動を展開している」