Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

日本の降伏条件をめぐる緊迫した動き 『偉大なる道』第12巻②ー3

 8月10日、日本が天皇の「特権」保持を条件に降伏を申し入れたという知らせが、電撃のように全中国につたわると、歓喜の中にも驚愕の感情がまじっていた。愛国的新聞は、日本の無条件降伏がポツダム宣言の建前であると抗議し、また日本の申し入れは日本軍閥の陰謀であって、在満50万のとっておきの部隊がロシアにつぶされるのをふせぎ、太平洋の武装兵力を保存し、さらに150万の中国にある部隊を温存して、もっと有利な時期に戦争を再開することをねらっている、ともいった。

 

 重慶の半官半民の大新聞『大公報』は、これは「無条件降伏ではなく、条件付きの降伏」だから、「熱狂を冷ますように」と民衆に警告した。

 

 共産主義者は、ここで大掃除をすることを考え始めた。共産党系新聞は、日本人戦争犯罪者の名簿をつくって裁判するのは中国人民の権利であると主張したが――蒋介石は即座にこの権利を否定した。共産党系新聞は先手を打って戦争犯罪者の長い名簿をつくり、暴行の詳しい記録といっしょに発表した。戦犯第一号は、華北のおそるべき「三光」政策――殺しつくし、焼きつくし、奪いつくす――の責任者岡村寧次将軍であった。岡村将軍は当時南京にいて、シナ派遣軍総司令官だった。

 

 延安では、朱将軍はこういった。

 

 「中国人傀儡たちに、現在の所属を変更することを許してはならず、それによって罪を免れさしてはならない。彼らは、フランスの愛国者ナチス協力者を処置したのと同様に、処置されなければならない。日本軍部隊と傀儡軍部隊は、全て当該地方の抗日部隊に降伏させるよう要求する――欧州のナチス軍が、各地方の連合国部隊に降伏したのと同様に。……これを拒むものは実力をもって掃討すべきである」