Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

重慶政府、アメリカのすすめでソ連政府と同盟 『偉大なる道』第12巻②ー7

 山西省では、日本軍は旧軍閥の省主席閻錫山を装甲列車で太原府に迎えた。そして日本軍の司令官は閻の顧問になり、2万の日本軍部隊を閻の指揮下に入れた。これらの日本軍部隊は閻自身の部隊とともに、ただちに八路軍に対する反撃を開始した。それから3年半の後、中国人民解放軍は太原府を征服し、数千の日本軍と司令官を捕虜にした。閻は広東に逃げ、落ちぶれた国民党政権の総理になった。

 

 8月14日、日本は正式に連合国の降伏条件を承認した。それは無条件ではなく条件的だった。天皇は「特権」を保有することを許され、中国ではこれに対して激しい抗議がわきあがった。

 

 同じ日に中国の情勢はふたたび急激な変化をきたした、というのは、重慶政府がアメリカのすすめによって、ソビエト政府と30年の友好同盟条約を結んだからである。

 

 この同盟条約は、日本の侵略の再発をふせぐための特別な規定を設けていたが、この問題ではいつも満州が焦点だった。そこで満洲は中国の不可分の一部であることをまず宣言し、次のような点の取り決めをおこなった。――中東鉄道と南満州鉄道の中ソ共同運営、旅順海軍基地の30年の共同利用(ロシアの費用で建設されたすべての施設は期限満了後無償で中国に引き渡される)、大連は中国の行政管理下の自由港とし、港湾運営は中ソ共同してあたる。取り決めは30年の期限づきで、それ以後は両鉄道の全資産が旅順港の施設と同じように無償で中国にかえされる。両締約国は平和回復後の緊密かつ友好的な協力、双方の主権と領土権の尊重、そして相互の国内事項に対する不干渉を約束した。

 

 この条約が調印された日に、蒋介石アメリカに強要されて、国内問題を協議するため、重慶にくるようにとはじめて毛沢東に招電を発した。

 

 毛は日本軍と傀儡部隊の武装解除に関する朱将軍の要求に蒋が回答した後で、その問題は考慮することにしようと返電した。