Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

朱徳、国際外交の舞台に登場 『偉大なる道』第12巻②ー8

 蒋介石が返事をまとめるには、2日かかった。その間に朱将軍は、南京の岡村将軍に打電して、現在地で八路軍と新四軍に投降するよう解放区の全日本軍に指令することを命じた。華南では、国民党軍に取りまかれている部隊以外は華南抗日部隊に投降するよう要求した。

 

 また敵の占領地域の施設や物資はすべて現状のまま保存し、日本軍の飛行機と華北、華東の港内の艦船は、すべて現在地にとどめ、黄海沿岸の艦船は特定の港に集める。そして以上の命令の実施は岡村以下日本軍全将校の責任であることを、厳重に警告した。

 

 国民党はすぐさま中国共産党を「反逆者の党」であり、「公敵第一号」であると攻撃した。ある国民党系新聞は『ニューヨーク・タイムズ』の論説を掲載して、「中国政府の乗っとりをねらう陰謀」であると中国共産党を非難した。

 

 延安の新聞は、『ニューヨーク・タイムズ』と国民党系新聞に答えてこう書いた。

 

 「われわれはこれまでも、少数の支配層の腐敗した専制的な支配に対する敵意をくりかえし声明しているのであり、全国の民主勢力とともに、この専制政治の廃止と各党各派を代表する連合政府の樹立を要求してきたのである」

 

 民主同盟の張瀾主席も国民党系新聞に答えて、連合民主政府樹立のための政党連合会議の開催をよびかけた。内戦を停止できるのはそれだけだ、と彼はいった。

 

 朱徳将軍はここで国際外交の舞台に登場した――アメリカ、イギリス、ソビエト同盟の政府にあてた正式のコミュニケを発表して、「中国の戦場の実情を認識するよう」要求したのだった。

 

 彼は連合国政府に、解放区は1937年国民党政府が放棄したために、敵に占領されたと訴えた。八路軍と新四軍は1945年春までにこの地区の百万平方マイル近くを奪回し、一億の人民を解放した。

 

 そして解放区の武装兵力と人民の戦争記録の概要を説明したあとで、彼は、解放区の抗日軍と人民は「いまなお、日本武装兵力の69パーセントと、傀儡軍の95パーセントを引き受け、これを包囲している。一方国民党軍の大部分は、われわれの手助けをしないだけでなく、96万の部隊を使って、われわれを封鎖し攻撃している」といった。

 

 解放区の人民と中国共産党は、――と彼は連合国にうったえた――統一された連合民主政府を樹立するために、何度となく各党各派の会議を提案してきたが、それだけが、内戦を停止させ、国全体を抗日戦争に動員させ、勝利と戦後の平和を保証することができるのである。そうした提案は国民党政権によって、ことごとく拒否されてきたのだ。

 

 そして「われわれは連合国政府と人民に、はっきりと要求を提示する根拠をもっている」と宣言し、国民党政権とその総司令官は、中国の解放区、中国人民、ないし占領地域の抗日武装兵力を代表するものでないと決めつけ、「われわれは、解放区と、占領地域の人民武装隊に関するかぎり、あらかじめわれわれの同意を経ていないいかなる譲歩ないしは取り決めに対しても、これを拒否する権利を保持する」と警告した。