Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

アメリカ、朱徳の宣言承認を拒否 『偉大なる道』第12巻②ー9

 朱将軍はさらに、解放区とその地域の抗日部隊は、日本軍と傀儡部隊との降伏を受理し、降伏にともなう連合軍の規定を実行する権利をもち、また日本の処置に関する講和会議と国際連合に代表者をおくる権利があることを宣言した。彼のコミュニケは次のことばでで終わっていた。

 

 「中国における内戦の危険を避けるため、われわれはアメリカ政府がアメリカと中国の人民の共通の利益を考慮し、国民党政府に対するレンド・リース援助を、ただちに中止することを希望する。国民党が全国的な規模において反人民的な内戦を開始する場合は(それは非常にさしせまった危険である)、貴方(アメリカ政府)が国民党政府に援助をあたえないように要求する」

 

 しかし呼びかけられたどの政府も、公式にこのコミュニケを承認することをしなかった。8月23日、朱将軍は、アメリカの軍用輸送機が国民党軍の輸送をはじめたという最初の報告を受けとった。それは南京や上海だけでなく、北京、天津、青島など華北や華東の戦闘位置にも向かっていた。蒋介石が、彼の部隊の「解放区奪回」を援助するため、アメリカ軍部隊に天津と青島へ上陸を依頼したという報告も受けた。

 

 同じ日に、国民党軍政部長何応欽将軍は、国民党部隊の南京進出の安全を確保する措置をとるよう岡村寧次将軍に命じ、同時に「匪賊」地域の奪回についても岡村に責任があることをつけ加えた。

 

 蒋介石の対共産軍戦の顧問になった岡村にとって、それ以後の4年間は幸福ではないにしても、居心地のよい月日であった。1949年、中国人民解放軍が南京に接近したとき、蒋は、彼のほか多数の日本人戦争犯罪者を釈放して、東京のダグラス・マッカーサー将軍の待ちもうけた腕に送りかえした。