Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

ハーレイ将軍の延安訪問の目的 『偉大なる道』第12巻③ー2

 8月半ば、「大風」がまた延安にやってきた時から、情勢は新たな段階に入った。アメリカ駐華大使パトリック・ハーレイ将軍は1944年11月に、飛行機で最初の延安訪問をした。彼は、機から大股で出てきて、毛沢東朱徳その他の人々と握手しようとしたとき、勇ましい掛け声を発したものである。地球上で一番金持ち国の代表であるハーレイ将軍がマルクス主義を知らないことといったらひどいもので、この将校は延安を訪れたアメリカの出版関係の人に、いろいろ世の中のことを教えてもらったが、最後に出版関係の人が帰るときいったものだ。「もうひとつ聞きたいのだが――マルクスというのは、ロシアの最初の独裁者だったんですか」

 

 ハーレイが延安に来たのは、毛沢東をつついて、蒋介石と国内問題について交渉させるためであった。毛は五項目の取り決めを提案した。

(1)日本を撃滅し中国を再建するための、国共軍事統一。

(2)連合政府、および統一された全国軍事委員会の設置。

(3)連合政府は孫逸仙の考えたような民主的なものであること。

(4)抗日諸勢力は、統一された全国軍事委員会に服従し、またそれによって賄われること。

(5)すべての抗日政党が合法的に認められること。

 

 ハーレイはどれもみなもっともなことだから私自身でサインしておこう、と大声で宣言し、そして噂によると、非常に派手な身振りでサインしたそうである。

 

 あとで、毛沢東朱徳に「あいつは道化役者だ」といった。そこで、重慶では「大風」といわれるハーレイが、延安では「道化役者」とよばれるようになった。

 

 ハーレイ将軍は自分のことを「共産主義者の親友」で、親切な仲介者といっていたが、共産主義者アメリカの本意が国民党支持にあることをしめす多くの兆候を見抜いていた。彼らは、最後の土壇場にそなえる準備をした。しかし、中国問題をめぐる1944―45年の米ソ交渉によって[待った」をかけられた。共産主義者として、彼らがソビエトの世界情勢分析に背くことができないのは当然であった。ソビエト重慶政府と条約を締結し、スターリンモロトフがモスクワでハーレイ将軍に保証をあたえたことは、モスクワが、このとき中国を米ソ角逐の舞台にすることを望んでいないこと、そして中国共産主義者にも、できるなら協調を望んでいることを、強く暗示したものであった。