Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

米軍の目に余る不法行為に高まる憎悪 『偉大なる道』第12巻③ー7

 そのころ上海の2,3の勇敢な新聞が「米軍暴虐のページ」という特集のページをもうけたが、月日がたつにつれて、この特集はアメリカ軍の不法行為に関する報道や投書でいっぱいになった。あるアメリカの提督は、婦女子の暴行や男子の殴打殺害に抗議しにいった上海の中国人代表団に向かって、「アメリカの若い連中」は何ヵ月も海上でさびしい思いをしたので、ちょっと慰安をとっているのだ、と答えた。

 

 だが、天津の年寄りの労働者がアメリカの海兵に捕まってちょっといたずらで片耳をペンナイフで切り取られたり、北京の女学生がアメリカの航空兵に街頭で陵辱されたり、南京で橋に立っていた人が海兵に溺死させられたりしたのは、中国人にとっては「慰安」という言葉で納得できない。

 

 アメリカ部隊の暴行事件がたびかさなっても、国民党政府が抗議さえしないので、中国人のあらゆる階級の憎悪が高まっていった。

 

 この憎悪は1945年11月30日の事件で急激にもえあがった。この日昆明で、内戦とアメリカの中国領土占領に抗議する学生大会がひらかれたが、秘密警察員がこれに手榴弾を投げて、数人を殺し数十人を傷つけた。学生の抗議デモが全国にもえひろがった。そのひとつの重慶の大会では、民主同盟のふたりの指導者李公樸と羅隆基が演説した。羅教授はこうのべた。「今日では生きているより死んだ方が楽だ。地獄の恐ろしさは聞いているが、地獄に思想統制や秘密警察があるとは聞いたことがない。今日地上の世界は地獄より暗い」