Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

アメリカへの憎悪、アメリカ人との友情 『偉大なる道』第12巻③ー8

 1945年末、青島の高等学校教師フェイ・シィァオ・チンが思想と所属政党に関する質問に回答をこばみ、銃殺された事件があって、大衆の怒りが高潮したことがあったが、彼に質問したのは日帝協力軍の指揮官だった例の反逆者の市長であった。

 

 昆明の学生殺害事件に抗議する延安の民衆大会で、朱徳将軍は国民党が「1927年以降に殺した進歩的な青年の数は40万から50万に達する」こと、そして今日も秘密警察は「日夜人民を殺している」ことを聴衆にうったえた。

 

 「国民党は、旧北洋軍閥より開明したふりをしている」彼はさげすむようにかたった。「人民に判断させるがいい! もし国民党が望みどおり国内を『統一』したならば、わが国はいったいどうなるのか、人民に考えさせるがいい! 北洋政権よりはるかに悪質な、はるかに専制的な、はるかに残酷な、はるかに狡猾な、ファシスト独裁になるだろう」

 

 まもなく「アメリカを打倒しろ! 日本軍部隊を武装解除しろ! 傀儡部隊を武装解除しろ! 内戦を停止しろ! アメリカ部隊を即時撤退!」そうした叫びが国中にひびきわたった。

 

 中国共産主義者の態度は、人民としてのアメリカ人に反対したのではなく、「アメリカ帝国主義」あるいは「アメリカの反動」に反対したのであった。同様に彼らは日本帝国主義には反対してきたが、日本人民に対してではなかった。日本人の中に友人をもっていたように、彼らはアメリカ人のあいだにも多くの友人がいることを知っていた。1947年春E・F・カールソン准将が死んだときは、彼らは中国の愛国者をうしなったかのように哀悼し、そしてカールソンの友人だった朱徳将軍が、個人としてカールソン夫人に弔電をうった。

 

 1946年10月のスティルウェル将軍の死も、同様に解放区に深い哀愁をなげた。朱将軍はスティルウェル夫人に「中国人民は、抗日戦に対するスティルウェル将軍の貢献とアメリカの正しい対華政策のための彼の奮闘を、永久に記憶するでしょう」と打電した。

 

 延安放送はいった。

 

 「蒋介石援助をやめろという昨年1月のスティルウェル将軍の助言がもし採用されていたとすれば、そしてもしアメリカ大使がスティルウェル将軍のような真に公平無私な態度をとっていたとすれば、中国の情勢と中米関係は今日のような困難におちいらずにすんだはずだ」

 

 E.F.カールソン将軍は少なくとも死ぬ前にひとつの大きな慰めをあたえられたはずだ。というのは、中国の民主主義のための彼の勇敢な奮闘に対して、中国人民の名による感謝状を毛沢東朱徳周恩来彭徳懐の4人が署名して彼に送ったからである。