Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

満州占領を完了したソビエト赤軍の動向 『偉大なる道』第12巻④ー1

 10月、11月がすぎると、全華北は革命兵力と反革命兵力のあいだの闘争場になった。アメリカと日本と兵隊は、共産軍に挑戦する国民党軍や傀儡軍が使用できるように、共同で鉄道を警備した。国民党軍の使用にあてるアメリカの飛行機やレンド・リース物資が、上海や華北アメリカが管理する港にぞくぞくと送りこまれた。

 

 8月23日に満洲の占領を完了したソビエト赤軍は、この地方の主要都市と交通線をおさえていて、一方で八路軍満州義勇軍は、郷村で行動しながら、中ソ友好同盟条約を用心深く文字どおり墨守しているロシア人との、一切の接触を避けていた。

 

 満州に人民軍がいるため、蒋介石総統は国民党部隊が接収できる態勢になるまで赤軍部隊の撤退を延ばすように、正式にモスクワに要請した。モスクワはこの要請を受けいれて、1946年1月3日を最終撤退日ときめた。

 

 だが12月半ばになって、蒋総統の代表は赤軍の撤退をもう3ヵ月延ばすことをふたたび正式に要求した。モスクワはそれを承諾した。しかし赤軍は、中国の「不正規軍」を武装解除してくれという国民党の要求に対しては、中国の内政問題に干渉することはできないという理由で、拒絶した。

 

 国民党は、赤軍の撤兵延期を二度も正式に懇請しているのに、国民党の宣伝家たちは、アメリカの宣伝家たちにうまくそそのかされて、赤軍満州撤兵を拒否したという猛烈な反ソ宣伝をおこなった。1946年3月、赤軍が予定どおり撤兵をはじめると、国民党宣伝家たちは、満州を中国共産主義者に引きわたすために出ていくのだと非難した。

 

 国民党軍と傀儡軍は、アメリカ軍と日本軍に勢いづけられて、この数ヵ月八路軍満州義勇軍の抵抗を排除して、満州に進出しようとつとめていた。ロシアが撤兵し終わるまでに、国民党は南満州の主な都市だけを接収することができた。共産軍はロシア軍のあとに北満に入り、日本が首都にしていた長春も占領し、――それを、強力な国民党軍がここを包囲するまで、もちこたえた。