Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

中国人民の偉大な解放闘争を象徴する朱徳の人生 『偉大なる道』第12巻⑤ー7

 四川省の貧農の子、朱徳将軍はいま六十歳になった。11月30日、戦闘のまっ最中に、華北の人民と部隊は、彼を祝福して愛情と激励の言葉をおくった。はるかな満州の戦地から、林彪の幕僚が打電してきた。

 

 「貴下の六十歳の誕生日を祝うため、われわれはひとつの新しい勝利を贈る。ただいま国民党の一個連隊、わが方に投降せり」

 

 上海で出ている雑誌『群衆』の編集局が、誕生日に間に合うように手紙を送ってきた。

 

 「敬愛する先輩。貴下は中国人民を敵の鉄蹄からすくいだされました。貴下は中国人民を指導して、千年の奴隷状態から自らを解放させ、衣食の道を得ることをたすけました。貴下は侵入者を中国人民の田園から追っぱらう。貴下は中国民族の偉大なる子であり、中国人民再生の親であります……今日、貴下の六十回誕辰にあたり、われわれの胸のうちに、感謝の情は香華のごとくにもえたちます」

 

 延安の朱将軍の司令部には、11月30日の朝から晩まで、たえまない人の流れが寄せてきた。ひとりの女をまじえた4人の農民の一団は、彼に誕生祝いの果実入りの菓子、2本の酒、ひとかごの誕生祝いの麺を贈るため、20マイルも歩いてきた。延安守備隊の兵隊たちは彼のためにサンダルと靴をつくって贈り、そして司令部の前で革命家をうたいヤンコをおどった。

 

 だが、おそらく朱徳がもっとも感激した贈り物は、共産党中央委員会からの彼の勲功をかぞえしるした巻物であっただろう――清朝の全滅、袁世凱の打倒、大革命における役割、毛沢東との協力による中国紅軍の創設、長征中の軍の指揮、そして抗日戦争における偉大な業績。この文書はこう結んであった。

 

 「貴下は過去60年における中国人民の偉大な解放闘争を象徴している。貴下は抑圧された中国人民のよき子、よき兄弟である……

 

 「国民党反動がアメリカ帝国主義とともに対日戦勝利の果実を中国人民から奪い去ろうと企てている今日、貴下と同志毛沢東はわが国とわが人民の利益をまもる闘争の先頭に立つ」

 

 朱将軍は六十歳の誕生日に一文を発表した。それは彼の母――流浪する旅芸人の娘、名前さえないほど目立たない女、八十歳で亡くなるまで働きとおした農婦、の物語である。

 

 この60歳の誕生日の2週間後には、朱将軍はふたたび中国の山野の道を歩いていた。胡宗南が率いる蒋介石の封鎖部隊が、延安に殺到しつつあった。敵が進出してきたときには、この小さな町は空になっていて、敵が寸土を取るごとに血を流すことを強いられる部隊だけがあとに残っていた。

 

 悲しげな顔で別れをいいにきた農民たちにむかって、朱将軍はつげた。「よそへ行ってるのもそう長いあいだじゃないよ」

 

 朱将軍はそばを歩いてゆく53歳の毛沢東に話しかけた。

 

 「私は60年生きてきた。これからの1年1年はそれだけもうけものだ」

 

 こうして彼は、人類解放の偉大な道を進んでゆく――今度は、祖国と人民を、3年後に蒋介石を突きくずし世界の反動をふるえあがらせる勝利に向かって、みちびくために。

(完)