Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

韓国ドラマ「黄金時代」を観て戦中の徴兵制を考えた

十数年前にみた韓国ドラマ「黄金時代」は戦中のことを考えさせてくれた。

ドラマは民族系銀行の内紛の周辺を描いているので、戦時色はあまり出ていなかった。

本土とは違い、朝鮮半島には空襲もなかったし、強い思想統制もあったので、表面的にはのんびりしていたように想像する。

日帝」への反発は中国大陸や「地下」で生きるしかない時代だった。


しかし、朝鮮半島で戦中末期に実施された徴兵制について考える瞬間があった。
実業学校の教師をしているカンチョルが、自分の教え子を戦地に送りたくないということで、友人のチェフンに銀行で採用してくれるよう頼んでいたシーンがあった。
銀行員になれば、「徴兵免除」を受けることがわかった。

南大門市場や町を行きかう民衆に若い人がほとんど見られなかったが、実際もそうだったと思う。
若い世代は徴兵免除を受けているか、伝染性の病気を持っているかのどちらかでなければ、徴兵で戦地か、徴用のために日本本土の軍需産業の現場や戦地に強制的(または仕方なしに)に連れて行かれているはず。
それがいやだったら、「逃げる」という道しか残されていなかっただろう。

カンチョルは教師から銀行員になったのだが、教師のままだったら「徴用」の対象になっていた可能性はあると思った。
そういう意味でカンチョルとずっと一緒にいた友人が、ぶらぶらすごしているのが不自然に見えた。

孤児だから対象からもれたと考えたらいいのだろうか。

この時期の日本の戦局はかなり悪く、兵が絶対的に不足していた。

学徒出陣という名で学業半ばの学生も戦地に行く時代だった。
朝鮮半島にいる45歳以下の健康な日本男子も、いつでも戦地に行く覚悟は持っていたようだ。

『慶州は母の呼び声』(森崎和江著)より

 

「秋になりイタリアの降伏が伝えられ、兵役法がかわったとかで父が20数年前の奉公袋を出した。父もいつ召集されるかわからないことになったという。南方の島々に次々と米軍が上陸する。そして、10月、朝鮮海峡を往来して釜山と下関とを結んでいた連絡船の崑崙丸が、アメリカの潜水艦によって撃沈された。」

 

イタリアの降伏は1943年の9月のことで、奉公袋は遺書や連絡先を書いたものを入れた袋で戦地に持っていくものだった。

著者の父親は40歳前後と推測される。

こういう人が徴兵免除されないのだから、かなり兵力が不足していたと想像できる。

確かこの頃松本清張ニューギニア戦線の補充兵として運悪く召集され、兵団を編成するために朝鮮半島にいたのだが、30歳前半で妻子ある身だった。

決して若くない年齢なので、自伝では町内の誰かの心証を悪くしたためではないかというようなことが書かれていた記憶がある。
幸い戦地ではなく、朝鮮半島終戦を迎え無事に妻子の元に戻ることができた。

この人が戦死していたら、戦後の文学界違っていたと思う。

 

松本清張は、朝鮮戦争後スパイとして北朝鮮で裁判をかけられ亡くなった詩人林和(イムファ)のことをきめ細やかに描写した『北の詩人』を書いている。

結核を病んだ繊細なこの詩人が、生活苦の中で、宣教師から特効薬とか栄養のある食物との交換条件でズルズル関係を深めていく苦悩が、松本清張独特の想像力でリアルに描かれていく。

 

亡くなった父もこの本を読んで感銘受けていたのだが、中でも米兵の描写が自分の実際観た感じとまったくいっしょだったことに驚いていた。

たとえば米兵の髭を剃り上げた顎あたりの色が緑色に見えたとか、履いていたズボンがぴしっとプレスされていたので、折り目が剃刀の刃のように見えたとか。

父は松本清張の自伝までは読んでいなかった。

この作家がもし朝鮮半島ですごす時期がなかったら、『北の詩人』は書けていなかったのではないかと思う。

 

ずっと以前、文学に詳しい韓国人留学生に林和のことについて訊いたことがある。
彼女の肯定する返事とそのときの暗い顔つきをまだ覚えている。

時代に翻弄された線の細い林和のことを考えると、人間の弱さを思い切ない気持ちになる。

 

さて話をもとに戻すと、朝鮮半島にいた父も「徴兵免除」をもらっていたが、徴兵検査は対象年齢の若者として受けた。

ところが自覚症状はないのに「結核」にかかっていることがわかり、「不合格」という結果をもらっている。
当時の「結核」は「死の宣告」を意味したが、それでも「合格」した若者から「不合格」をうらやましがられたということだった。

現地ではなんとかわが息子も徴兵免除を受けさせたいと、父のポジションである農業技手になんとかならせようと努力していた金持ちの人がいたと聞いている。

 

例外もあったことは承知しているが、あの時代においては徴兵や徴用を避けたいと思うのが普通の感覚だったと思う。