Out of Far East

東アジアの文化歴史の個人的覚書

海を見つめる父

幼い頃両親が離婚したとか、片方の親が外を向いていたり、両親の相性が合わなかったために家庭内が落ちつかなかったという話はたくさんありすぎて、さほど珍しいものではないとは思う。

歳を重ねてきて見聞きする限り、どこの家庭にもそれぞれ独特の問題があって、仲がいい両親だったというケースの方が少ないんじゃないかな。

それと経済的に回っていけば、傍から見れば波風立たずに通過していくものとも思える。

 

個人的には落ち着かない家庭で育った人の方が味があって共感できるので好きだった。

 

私の知る著名人は、精神科医神谷美恵子、作家のハン・スーイン、辻井喬向田邦子須賀敦子萩原葉子、梁良枝そして曽野綾子さん。

映画監督のスピルバーグ氏もインタビュー番組の中で幼い頃の両親の離婚と現在の自分との関係を語っていた。


メディアで知る曽野綾子さんだけはどうも相性が合わないけれど、小さい頃の思い出を書いた父憎しの文章は覚えている。

普通は同性の親に憎しみが向う方が多いのに、この女性は異性の親と衝突している。

結局両親は離婚した。父と娘でここまでこじれた関係はほとんど知らない。


過ぎてしまえば、あれは何だったのかと思える。

重ね重ね時間とはありがたい。

父の結婚にまつわる断片的な情報を得て、深い溜息とともに周囲の人間関係の中での父の誠実さが際立つ。

一人の女性が生涯楽に暮らせる資金を手渡せるならば、離婚していたケースだった。

「いっしょにいこ」
といって連れて行ってくれたのはA港の近くの海岸。

中学生の頃だったと思う。
 
育った町は北部の閑静な住宅街と対極にある南部の商工業地域で、車で果てしなく南へ進むと海岸に出る。

大人の背を超えるコンクリートの壁を階段で越えると、工業地帯の海だから汚いけれど、やはりそこは海であることに変わりなく、水平線に目をやると運搬船がゆらめいて航行している。

海岸沿いの工場の煙突や吐き出される煙、灰色に曇った空、澱んだ海水。

ロマンチックな背景は何もないが、詩的な情緒を与えてもらえる人もいる。
 
亡き父がそうだった。
 
海の広がりは、詩人の心さへあれば、水平線の向こうに両親や弟妹たちの住む韓国の釜山へ導いてくれる。

父はテトラポットに足を立てて座り込んで海を眺めていた。

それが寂しげなものに見えたから声をかけることはできず、「帰ろ」といわれるまで私はテトラポットテトラポットの間の溝をバランスをとりながら超えて遊んでいた。
 
こういう心境のときにお供させられるのは長女の私だった。
父と母の関係がどうもうまくかず、理性がある方ががまんするしかない。

父の世代の在日の男性で父ほど耐えぬいた人はいないだろうと思う。

「仲がよかったときもあるんやで」
と母の葬儀を終えて、心のバランスをくずしている私に声をかけてくれた人がいる。母方の実家に他家から嫁いできた人で、長女として私が相性が合わない父母の関係を見つめて疲れきった日々があったことを知っていた。

母方の親族との関係に一線を引いて以来、ほとんど会うことがなかっただけに、再会は感情的なもつれをほぐしてくれる可能性を感じて時間の恵みを感じた。
親戚という枠をはずせば、目の前の老女は一人の在日として紆余曲折の人生を歩いてきた弱い立場の位置にいることは理解できる。
 
どうして父は母と結婚したんだろう。
 
父にも事情があり、母にも事情があった。

父にも言い分があり、母や母方にも言い分はある。

母方の親戚から私は好かれることはなく、妬みと恨みの対象になっていた時期があった。

結果的に在日社会から距離を置いて自由に生きることができたので、よかったと思っている。

こうして客観的に振り返ることができることも、時間の恵みを感じる瞬間だ。

かつて海を見つめていた父の年齢をはるかに越えてしまった。