前回の従軍慰安婦に関する記事のつづきになる。
今何が政治的、外交的に日韓で何が問題になっているかをじっくり情報を追いかけて考えてきたわけではない。
ただ気になるテーマであるので自分なりの知見で考えているだけ。
日本軍の戦地における従軍慰安婦についての朝鮮半島での募集は、戦前戦中も大ぴっらにやれるものではないし、誰でもやれることでもなかったと思う。
やはりうまくやれる人が必要だったというかすでにいたのではないか?
従軍慰安婦の発案は軍・官だととらえている。
軍・官 ⇒ 公職についていた ⇒ 民間の ⇒ 不遇な状況
親日派 ○○紹介業者 にいた女
|→→ここからは日本語の世界ではない。
少なくとも当時は国内であった朝鮮半島ではこのような流れがあったと考える。
発案した日本の軍・官が直接手を出して集めることはしていないと思う。
繰り返しになるが、レイプ以外の接触は考えにくい。
集めること自体は要人の暗殺と同じように末端の仕事だったと思う。
朝鮮半島において行政職につく親日派は、当時としては現地のKoreanから見ればかなり高給をもらっていたので、たとえ口に出して指示されなくても忖度して必死に動く人がいたのではないか。
こういう人たちはいつでもどこにでもいる。
そして実際集めるのはやはりプロだと思う。
集めるにはことばがいる。
従軍慰安婦は、一部の親日派の公務員や○○紹介業者によって甘言にだまされたとか、逃げようがないとか他に何もないという悲惨な状況下で、観念して連れていかれた不遇な女たちと現在の見識では考える。
それまでにレイプされているケースも多い?
ひどい話だ。
1945年の8月の解放当時、親日派の人で徴用や従軍慰安婦の募集に関することや、従軍慰安婦についてはさらに○○紹介業者で詳しい事情を証言できる人たちはいたと思うが、表には絶対出れなかっただろう。
解放後まもなく朝鮮半島で命の危険を感じた人たちがいた。
内地からきた植民者やその家族と考えるのは間違いだ。
亡父の証言によれば、一般的に日本の植民者たちは誰ひとり危害を加えられることなく帰国したといっていた。
少なくとも朝鮮半島南部では断言できるとはっきりいっていた。
亡父は「あれだけおさえられていたのに、引き揚げ準備をする日本の人たちにかわいそうに、かわいそうにと同情していた」と。
満州から朝鮮半島を南下して引き揚げてきた状況を綴った藤原ていの『流れる星は生きている』を読んでも、同じようにKoreanの民衆から心情的に助けられたようなことを書いている。
ところが、人の供出に関わったとされる親日派の人たちは情け容赦なく報復を加えられた。
逃げてもどこまでも探し出してきて、人民裁判のような形で死に近い制裁を加えられたと、これは亡父の証言。
たとえばどういう人かといえば、刑事だという。
当時朝鮮半島で刑事をやれるような内地出身日本人は、兵力不足でとっくに戦地にいっている。
こういう仕事は現地のKoreanが担っていたらしい。
解放後の政治情勢はさらに混乱し、朝鮮戦争が起こる。
その前に、1948年4月3日に有名な済州島四・三事件が起こる。
島民の5人に1人が虐殺されたといわれる。
本土から動員された将兵によるレイプもあっただろう。
この事件の原因はいろいろいわれていてとてもややこしい。
ひょっとしたらややこしくさせられたのかな。
本土からきた警備隊第九連隊の金益烈連隊長がこの悲惨な状況下で民衆側の代表とも和解交渉に成功していくのだが、米軍の干渉とかが入り混沌としていく。
その後金益烈は軍人として天寿をまっとうし、家族に死後開封するようにと「四・三の事実」という遺稿集を遺していた。
新幹社から『済州島四・三事件 記憶と真実』が出版されているが、付録としてその遺稿集の翻訳が掲載されている。
金益烈は、この事件の真実を知る人は朝鮮戦争でほとんど死んでいると語り、最前線のトップとして現場にいた立場から、この事件の事実を自分の死後明らかになることを望んだ。
そのなかではっきり「米軍政の失政によって島民と警察が衝突した事件」と書いている。
この遺稿集を読んだとき、四・三事件を知る第一級の資料だと思ったし、金益烈の生き延びた軍人としての責任のとり方に感動した。
徴用や従軍慰安婦について証言できた人を朝鮮戦争でも多く失っている。
今も問題になっている国際的な視野に立った法的な解決の仕方、謝罪の仕方についてはよくわからない。
ただ、元慰安婦だった老女の残り少ない人生を充実させることが急務で、もしそれが保障されているなら静かな余生をおくってもらえたらいいのではないか。
あの時代、悲惨な境遇にいた女たちの存在を元従軍慰安婦だった老女の証言で知ることができた。
さらにフィリピンやインドネシアでも日本軍の従軍慰安婦をさせられた現地の女がいたことを知った。
従軍慰安婦以外の犠牲者も名乗り出てきた。
老女たちが名乗り出た功績と受け止める人は少なくないと思う。
もうメディアなどの被写体として無防備に姿をあらわすことはたとえ銅像でもやめてほしいと思っている。
メディアからはなれた静かなところ、つまり政治的かけひきの舞台から降りたところで、元従軍慰安婦だった老女と向き合いながらことばを聞き取った韓国の女性による何らかの表現作品を望みたい。
そういう作品は朝鮮半島や韓国の女性史の一部を語る大事なものになっていくのではないか。
前回までの従軍慰安婦に関する記事